「復職おめでとう。
いや、ありがとう、ですね」
オイシックス・ラ・大地の「復職式」
高島宏平社長の感謝の言葉。
日経新聞の巻頭コラム「春秋」
同社には育児休業から復帰する社員を、
歓迎する式がある。
今年は6回目で、
男女12人が復職した。
女性は産休からの復職、
男性は育休からの復職。
単なる儀式ではない。
目的は「復帰者の不安を取り除く」ことだ。
社長や先輩社員から、
助言や失敗談が披露される。
「仕事も家事も満点ではなく合格点で良し。
部屋なんて散らかっていてもOK――」
いい試みである。
高島さんは中学高校の後輩だ。
「紳士たれ」が校風だったが、
それがこういった形で生きている。
私にとっても、とてもうれしい。
産業医の矢島新子さんの著書、
『ハイスペック女子の憂鬱』
新書のベストセラー1位になっている。
この本で矢島さんは、
セクハラなどとともに、
「復職恐怖症」を挙げる。
小学校や中学・高校のときには、
長い休みのあとに学校に行くのが、
ちょっと嫌だった。
全員が同じように休んでいたのに。
それが仕事となって、
自分だけ職場を離れていたとなると、
「復職」は本当に憂鬱なことだろう。
会社や職場には、
そういった憂鬱を取り除く、
温かさが必要だ。
オイシックス・ラ・大地の復職式も、
その温かさの表れの一つだ。
同じ日経新聞の「大機小機」
タイトルは、
「リスキリングは企業の責任」
Reskillingは、
職業能力の再開発、再教育のこと。
コラムでは「一般に」と断って、
「デジタル人材への転身に必要なスキルを
再教育で身に付けること」
しかし小売業、流通業では、
デジタル再教育は可及の問題だ。
外部からスカウトするだけでなく、
ITやDXの再教育をして社内で登用する。
これこそリテールのリスキリングだ。
岸田文雄首相が英国で講演して、
「リスキリングに力を入れる」と力説した。
コラム。
「企業が従業員のために取り組めば、
リストラを最小限に抑えて、
レガシー部門から成長部門へ
労働移動ができる」
終身雇用の慣行が根強い日本企業の、
「解雇なき構造改革」と奨励する。
しかし産業レベルだけではなく、
企業内でこそリスキリングは、
必要だし、可能だと思う。
コラムニストは、
望ましいリスキリングのあり方は、
浸透しているのか、と警告する。
「オンラインの学習サービスを契約したり、
資格取得の学費を補助したりする企業は多い」
「しかし、いつどう学ぶかは
従業員任せになっていないか」
「帰宅後に、週末に、
疲れた体にむち打って
机に向かわなければいけないのか」
その通り。
ジャパン・リスキリング・イニシアチブ。
一般社団法人。
その説明では、
海外の成功例の底流には、
「リスキリングは業務の一部」の発想がある。
例えばスウェーデンでは、
「国と企業、労働組合が連携し、
従業員が時短を取得して
リスキリングに取り組む企業に対し、
政府が給与や受講費を支援している」
コラム。
「リスキリングを果たした従業員に
ふさわしい仕事があるかどうかも重要だ。
努力したのに望む職場で働けないなら、
モチベーションが続かない」
「年功序列の人事制度を改革し、
従業員にキャリアアップの道筋を
提示できるかどうかが問われる」
一方、経営者からは警戒感の声。
「スキルを身に付けた従業員が転職してしまう」
コラムは「本末転倒」と切って捨てる。
「デジタル人材が
流動化する動きは止められない。
デジタルトランスフォーメーションを進め、
やりがいと成長機会がみえる企業になれば、
入れ替わりに中途採用で
よい人材が入ってくるはずだ」
これは正しい。
しかし、
DXに取り組んでいない企業が、
DXに取り組むために、
デジタル人材を採用しようとしても、
人は集まらない。
「卵が先か鶏が先か」である。
そのなかでリスキリングは、
重要な役割を担う。
例えば産休や育休の間に、
リスキリングの一環として、
デジタルの知見を高めてもらう。
そんな考え方はどうだろう。
私が教授をしていた立教大学でも、
社会人が自分の時間を工面して、
大学院で学んだ。
イオンからもマルエツからも、
日本マクドナルドからも、
結城ゼミ生が生まれて、
彼らはリスキリングを試みた。
ピーター・ドラッカーは、
『経営者の条件』の中で語っている。
「私の観察によれば、
成果を上げる者は仕事からスタートしない。
時間からスタートする」
リスキリングは突き詰めると、
企業としての職場としての、
そして知識商人としての、
「幸せの時間管理」の問題である。
月刊商人舎2019年2月号。
ドラッカーは言う。
「おそらく、
時間に対する愛情ある配慮ほど、
成果を上げている人を
際立たせるものはない」
高島宏平の「復職式」にも、
岸田文雄の「リスキリング」にも、
立教の結城ゼミにも、
「時間に対する愛情ある配慮」が、
なければならない。
〈結城義晴〉