2022年5月末の土曜日。
横浜商人舎オフィスに出社。
ひとりでコーヒーを淹れ、
本を読んだり、
思索したり。
そして原稿を書く。
私の淹れたコーヒー、
意外に美味いです。
ある意味、至福のとき。
デスクの前には、
ジャン・ジャンセンのリトグラフ。
右手の壁には小野貴邦さんの書。
ドゥ・ハウスの稲垣佳伸さんから贈られた。
そしてオフィスの本箱の前に、
24段変速のシティーバイク。
ロヂャースの大田順康さんのプレゼント。
あっという間に夕方になる。
それでも今は、日が長い。
至福のときは、
まだしばらく続いてくれる。
ありがたい。
毎日新聞の一面コラム「余禄」
「明治期の作家、樋口一葉は
図書館を愛用していた」
足しげく通ったのは、
東京・上野の東京図書館。
日記に綴っている。
「読むほどに長き日もはや
夕暮れになりぬるべし」
コラム。
「貧しさに苦しんだ生活の中でも
時間を忘れ、書を読みふける姿が浮かぶ」
一葉にとっても、
至福のときだったに違いない。
今日の「折々のことば」
朝日新聞一面コラム。
第2392回。
独り視(み)る
まだ居るんだぞ
昼の月
(元看護師の哲学者・西川勝の随想「ふじやん」から)
編著者の鷲田清一さん。
「3年の野宿生活の後、
生活保護と末期がんの治療を受ける男性は、
陽光にかき消されそうな自分だけれど
ここに確と在ると、
月に自らを映して詠む」
至福のときとは、
ここに自分がいるんだと、
自覚できる時間だ。
鷲田さんはふじやんを高く評価する。
「物に自分を託す
その仕方がなかなか見事で、
その昔、港で見送る婚約者に、
船上から2人を繋(つな)ぐテープづたいに
指輪を滑らせ、思いを届けたという」
映画のシーンのようで、
ほんとうに見事だ。
北海道新聞コラム「卓上四季」
タイトルは「じゃがいもの話」
「サツマイモやジャガイモは農村に増配し、
代わりに米や麦を都会に回す」
1942年2月、戦時下の国会で、
井野碩哉(ひろや)農相が言明した。
井野は東京開成中学、一高、
東京帝国大学卒業後、農商務省官僚となり、
政治家への階段を駆け登ったエリートだ。
言語学者新村出(しんむらいずる)は、
その不自由を嘆いた。
無類のジャガイモ好きだったからだ。
ジャガイモは17世紀初め、
インドネシアのジャカルタから渡来した。
ジャカルタは当時、
「ジャガタラ」と呼ばれた。
だから「ジャガ」の「イモ」となった。
コラム。
「天候不順によるジャガイモの品不足が続く。
コロナ禍による物流の停滞や原油高に加え、
ロシアのウクライナ侵攻なども影響し、
昨年来の高値は当分続く見込みだ」
店頭の青果部門は高値だらけだ。
4月の消費者物価指数は、
生鮮食品を含めて、
前年同月比2.5%の上昇。
生鮮食品全体では12.2%の跳ね上がり。
エネルギーと食品関連の値上がりが大きい。
高騰はジャガイモに限らない。
2玉300円近いタマネギ。
ロピアのモレラ岐阜店では、
7個入り290円で積み上げていたが。
コラム。
「新村ではないが、
“戦況”の先行きの悪さに
暗たんたる気持ちになる」
「やせた土地でも育つため、
古来飢饉(ききん)対策として
栽培が奨励されたジャガイモ」
「気候変動や市場原理には、
歯が立たないのか」
「食料不足は世界規模で深刻化している」
コラムの最後の言葉。
「ジャガイモの”有事”である」
そう、その通り。
ジャガイモやタマネギだけでなく、
生鮮の”有事”であるし、
食品の”有事”である。
どこまで顧客の味方になれるか。
どこまで国民を助けられるか。
ウクライナもロシアも、
台湾も中国も、
アメリカも日本も。
このとき、
イオンの前身・岡田屋の家訓が思い出される。
「上げで儲けるな、
下げで儲けよ」
有事に活躍するためには、
凡事の徹底が求められる。
凡事徹底によって得られた蓄えを、
有事活躍で活かす。
今、そのときだ。
〈結城義晴〉