三千年紀の人類最大のテーマは、
「時間」である。
「三千年紀」は、
西暦2001年から3000年までの、
1000年間のことだ。
この間、人類にとって、
時間はますます重要になる。
そのために私たちは、
時刻を知っていなければならない。
1分、1秒を大切にして、
仕事や作業の生産性を高めるという意味でも、
逆に大雑把に時間をまとめて、
休養したり、リラックスしたり、
そんなことをするためにも、
時間に対するマネジメントは必須だ。
JR東日本が駅の時計を撤去している。
ただし利用者数の少ない駅などでのこと。
毎日新聞「余禄」が、
話題にした。
「同社によると、
管内全体の約3割にあたる約500駅を対象とし、
10年程度で撤去する計画」
「経費削減が理由だ」
おっと。
三千年紀に一番大事な時間を、
人々に知らせる機能。
それを勝手に撤去するのか。
コンビニエンスストアでも、
入口の反対側に、
誰でも一目でわかるように、
時計が設置されている。
商人舎オフィスでも、
同じようにしている。
「新型コロナウイルスの感染拡大は、
鉄道会社の経営を圧迫している」
駅時計の多くは、
親時計の時刻と電気で連動させる。
そのためコストがかかる。
撤去によって、
年間3億円程度の節約効果が見込まれる。
コストをかけないことを選ぶか。
人々に時刻を知らせることを省くか。
「時刻を表示する
スマートフォン類が普及した」ことも、
撤去の一因だとJR東日本は説明している。
だが「消えた時計」は、
すでに地域に波紋を広げている。
山梨県大月市。
JR大月駅などの時計撤去が問題となり、
市議会が決議して、再設置を求めた。
大月市の言い分。
「荷物で両手がふさがり
スマホが使いにくい観光客らもいる。
高齢者、子どもにも不便で、
市民に不安を与えている」
余禄のコラムニスト。
「JRは駅時計の役割をやや
過小評価してはいないか」
「折しも鉄道開業150年、
唐突な退場は寂しい」
同感だ。
駅の時計は「設備時計」と呼ばれる。
精度の高い「親時計」によって時刻を調整し、
通信ケーブルを介して複数の「子時計」に送る。
それによって1秒の狂いもなく、
正確に時を刻む。
世界に冠たる日本の鉄道の正確な運行。
その正確さを内外に示すのが駅時計だ。
JR東日本は2021年11月から、
約500駅を対象に駅の時計の撤去を開始した。
地元には説明や予告がなかった。
それが大月市などで問題となった。
再設置要求に対して、
内田英志JR東日本支社長は、
2022年3月26日に会見して、
「予定通り進める」ことを表明。
このあたりJRの官僚主義が顔を出した。
確かに首都圏や関西圏の駅では、
構内のあちこちに時計が設置されている。
利用客の多い都市駅を中心に、
時計の数を見直すという案も出ている。
この面では、
私鉄や地下鉄のほうが、
効率化や合理化が進んでいる。
こちらでは指針式の時計と、
発光ダイオード式行先案内表示器が、
一体化したシステムが採用されている。
この一体化によって、
現在時刻と発車時刻が連動する。
問題の根底にあるのは、
「時間」への認識の浅さと、
組織の官僚化である。
経費削減のために、
駅利用者を無視する形で、
「駅の時計を撤去」するのは、
いただけない。
スーパーマーケットも、
チェーンストアも、
経費削減のために、
顧客を軽んじることは避けたい。
時間はもっとも大切なものだ。
時刻を告げる時計は、
それを支えてくれる機能である。
月刊商人舎2019年2月号。
[Message of February]
時間よ、止まれ!
“Time is money”
〈アメリカ建国の父/ベンジャミン・フランクリン〉
「賢い人間は
時間を無駄にすることに
最も腹が立つ」
〈イタリアの詩人・哲学者/ダンテ・アリギエーリ〉
しかし、こんな言葉もある。
「珠玉の時間を無為に過ごさないようにと、
注意を受けたことがあるだろう。
そうなのだが、
無為に過ごすからこそ
珠玉の時間となるときもある」
〈イギリスの劇作家/ジェームス・マシュー・バリー〉
時間はなぜか二面性を持つ。
それが時間の特徴だ。
「労働は適時にはじめること。
享楽は適時に切り上げること」
〈ドイツの詩人/エマヌエル・ガイベル〉
「一番多忙な人間が、
一番多くの時間をもつ」
〈スイスの神学者/アレクサンドル・ビネ〉
これは真理だ。
私たちは誰もが、
「時間」の中で働き、学ぶ。
「時間」の中で休み、眠る。
「時間」で生きて、
「時間」で死ぬ。
「幻でかまわない
時間よ とまれ
生命のめまいの中で」
〈作詞/山川啓介・作曲/矢沢永吉〉
時間とは一生、付き合わねばならない。
その時間が止まった瞬間、
死が待っている。
だからこそ時間との向き合い方に、
ある種の決着をつけておきたい。
自分なりの羅針盤を携えておきたい。
仕事の時にもプライベートの時にも、
時間に対するマネジメント哲学をもって、
生きていきたい。
〈結城義晴〉