今日、横浜市西区北幸でボヤ。
商人舎オフィスのすぐそば。
消防車が集まった。
梅雨明けして猛暑。
火の用心を忘れずに。
私は1日、そのオフィスで仕事。
月刊商人舎7月号の入稿。
ランチはロク・カフェ。
ルーフトップ・カフェから改名。
普通の2階建て一軒家を改装して、
ユニークなインテリアのカフェとなった。
窓辺のソファもゆったりとしている。
メニューも味もユニーク。
暑い外気から遮断されて、
いい気分になれる。
入口にキューピー。
私はアロハ。
キューピーと並んでポーズ。
最近はほんとうにお陰様で、
仕事は順調。
締め切りには追いまくられるけれど、
それも何とか凌いでいる。
商人舎を設立したときに、
三つのコンセプトを掲げた。
自主独立、
自己革新、
社会貢献。
それを貫徹している。
ほんとうにお陰様で。
お天気博士の倉嶋厚さんの持論。
「いつの時代も、
“近ごろどうもおかしい”といわれるのが、
若者、言葉、天気です」
毎日新聞のコラム「余禄」が使ったフレーズ。
同感だ。
エジプトで古い石版が発見された。
難解な文字を解読してみると、
書かれていた文書の中にあったのは、
「近ごろの若い者は」という一文だった。
いつの時代も、
年寄りは若者に違和感を感じている。
極端気象も同じなのかもしれない。
今は温暖化に向かっている。
しかし長い地球の歴史の中では、
やがて氷河期(あるいは氷期)に向かうに違いない。
氷期の反対語は、
「間氷期」といって、
現在のことだ。
そんな悠久の時間を思うと、
なにひとつ慌てることはない。
私たちは、
小さな一個の人間だ。
小さな一人の商人だ。
「武者小路実篤詩集」より。
一個の人間
自分は一個の人間でありたい。
誰にも利用されない
誰にも頭を下げない
一個の人間でありたい。
他人を利用したり
他人をいびつにしたりしない
そのかわり自分もいびつにされない
一個の人間でありたい。
自分の最も深い泉から
最も新鮮な
生命の泉をくみとる
一個の人間でありたい。
誰もが見て
これでこそ人間だと思う
一個の人間でありたい。
中学から高校のころ、
武者小路に凝ったことがある。
密かに自分だけで「武者先生」と呼んで、
ほとんどすべての本を読んだ。
もしかしたら今も私の書くものに、
武者小路が映し出されているかもしれない。
社会人になって商業界に入ったら、
岡田徹という指導者が、
武者小路のような詩を書いていた。
産経新聞の「産経抄」
「編集者が作家から受け取った原稿を
出版社まで持ち帰る。
大切な仕事にもかかわらず、
しばしば事故が起こる」
私たちも40年前は、
執筆者から直接原稿を受け取った。
それを会社に持ち帰って、
赤地を入れて、デザインに回し、
それから印刷所に入稿した。
「漫画家の故赤塚不二夫さんも
被害者の一人だった」
「昭和48年、当時
『週刊少年マガジン』に連載中の
『天才バカボン』の担当編集者が、
出来上がったばかりの原稿を
タクシーの中に置き忘れる」
「赤塚さんは編集者を叱るどころか
飲みに誘った」
「酒場から帰って同じ原稿を仕上げ、
“二度目だからもっと上手く書けた”
と言って手渡した」
「住所を明記した封筒に入っていた原稿は、
1週間後に郵送されてきた」
実にいい話だ。
娘の赤塚りえ子さんが、
その著『バカボンのパパよりバカなパパ』で、
紹介していたエピソード。
「二度目だからもっと上手く書けた」
私たちもこの赤塚不二夫の心持ちで、
自分の仕事に向き合わねばならない。
私も書き終えたと思った原稿が、
パソコンから消えてしまうことが、
たま~に、ある。
頭を抱え、両手でほっぺたを叩き、
自分を自分で叱る。
しかし再び書くときには、
消えたものよりも、
絶対にいいものを書こうと決意する。
前のものよりも良くならねば、
同じ趣旨の文章を書き直す意味がない。
すると必ず、
前のものよりもいいものが書ける。
そして、より良いものが書けたことに、
感謝する。
仕事はこういったものだと思っている。
最近、仕事がうまくいっている。
ありがたいことだ。
小さな一個の人間の、
小さな一個の仕事。
より良いものを求める。
それがお陰様でうまくいく。
ありがたい。
〈結城義晴〉