7月10日の日曜日。
第26回参議院議員通常選挙、
投開票日。
《総務省の広告〉
横浜は快晴。
太陽に緑の木々がまぶしい。
神奈川県は24人の立候補者。
私の投票所です。
港北小学校の構内も、
森林浴ができるほど。
投票所は体育館。
あらかじめ決めてあったので、
さらりさらりと候補者と政党を、
投票用紙に鉛筆で書いて出てきた。
そして、いつものようにもらってきた。
投票証明書。
あとは結果を待つのみ。
午後8時、
投票時刻が終了した時点で、
NHKをはじめ、
テレビ局は当選を打ち出す。
そして予想通り、
自民党圧勝。
公明党、日本維新の会が議席を増やし、
立憲民主党、国民民主党、
共産党、社民党などが減らした。
比例区の投票をする際、
立憲民主党も国民民主党も、
略称を「民主党」と届け出ている。
両党は旧「民主党」から袂を分かった。
そして略称に関して、
両党ともに譲らなかった。
その結果、
実際に「民主党」と書いたら、
開票区ごとに、有効票に応じて、
按分される。
なんとも馬鹿なことだ。
たとえば立憲に投票するつもりで、
民主党と書いても、
この開票区の割合に応じて、
按分されてしまう。
民主党と書いた投票者の真の意志は、
結果に反映されない。
総務省の資料では、
2021年衆院選の際、
「民主党」と書かれた票は、
362万6320票だった。
そこで立憲に295万8201.722票、
国民に66万8116.241票が、
割り振られた。
馬鹿馬鹿しい。
こんなことをやっているから、
野党総崩れとなる。
つまり両党をまとめるリーダーがいない。
あるいは政党そのものに、
右派と左派を統合するパワーがない。
自由民主党も、
「民主党」という言葉を使っているが、
略称は「自民党」である。
ついでに言えば社民党も、
「社会民主党」だ。
日本の政治は「民主党」だらけで、
それは「中道」を意味している。
昨年10月の衆議院選挙のときにも、
このブログに書いた。
日本の政党政治は、
どの党も民主主義を基盤とするが、
全体の趨勢は「中道」である。
公明党はもともと、
「古い左と右」の中道の位置にいて、
民主主義をベースとする。
日本共産党も「中道化」してきている。
だから全党党首が、
安倍晋三元首相殺害のとき、
「民主主義への挑戦」と憤った。
「汝、殺すなかれ」は、
民主主義の前のロジックのはずだ。
モーゼの十戒である。
安倍殺害は反民主主義勢力によるテロで、
政治家だけがそれを知っているのか。
そんなことも思ったほどだ。
ほとんどすべての党が中道で、
自由民主党の中にも、
保守と革新がある。
右翼的と左翼的が混在して、
全体として大きな「中道」を形成している。
旧民主党にも、
リベラルとコンサバティブが同居した。
それを明らかにしようとして、
分裂した。
ここが大人げない。
そして「民主党」を名乗っている。
これも大人げない。
自民党のように、
そのまま抱え込む度量があれば、
そこそこ対立軸になれたものを。
中道の中で、
ちょっと右寄りが多いのが、
自民党で、
ちょっと左寄りが多かったのが、
民主党だった。
いまはイデオロギーにおいて、
「右」も「左」もないのだが。
全体にコモディティ化している。
与党となっている公明党も、
原則的に護憲であり、
原発ゼロ派である。
それを「加憲」と言ったり、
「確かな安全基準」で容認したり、
自民党に合わせている。
この融通無碍さが、
立憲や国民にあっていい。
立憲も国民も、
その線引きを自分たちだけ、
きっぱりとしようとして、
分裂し、負てしまった。
全体が中道で、
同質化、コモディティ化すると、
一番大きなものが勝つ。
マーケットシェア最大のブランドが強くて、
その他は必要ないとさえ言える。
それが消費社会の趨勢である。
政治も同じだ。
日本の民主主義が中道化し、
コモディティ化している。
だから、
マーケットリーダーが、
圧倒的に強い。
そのフォロワーが増える。
リベラルとコンサバティブの両サイドに、
マーケットフォロワーが多い。
マーケットチャレンジャーは、
ひどく弱い。
そのくせ互いに批判し合っている。
実はこれは、
つまらない市場である。
ドイツやフランスは、
その政治のコモディティ化に、
我慢ならない国民が増えて、
中道が負け始めた。
極右などが出てきて、
決していい状態とは見えないが。
日本の政治は、
中道コモディティの行き詰まり段階である。
安倍晋三元首相は、
そのなかで少しだけ、
ポジショニングを明確にした。
だから人気を博した。
日本の政治は今、
突き抜けた存在の登場を待っている。
与党側にも野党側にも。
ただし期待されるのは、
小粒な安倍晋三の再来ではない。
この参議院選で一番印象に残ったのは、
そのことだ。
〈結城義晴〉