7月中旬の快晴の空。
昼間が快晴の空ならば、
夕焼けは必ず美しい。
今日は将棋棋聖戦第4局。
1日対局の制度で5局の対局。
先に3勝したら棋聖位を獲得できる。
藤井聡太棋聖に永瀬拓也王座が挑む。
ここまで藤井の2勝1敗。
永瀬は追い詰められている。
この棋聖戦に向けて、
記念扇子が販売されている。
その扇子に書した言葉。
藤井聡太が「知」、
永瀬拓也は「鬼」。
鬼となって闘わん。
そのくらいの決意を見せた。
しかし中盤から藤井がリードして、
そのまま104手で勝ち切った。
永瀬は鬼にはなりきれなかった。
そして藤井は棋聖位を、
2年続けて防衛した。
しかし感想戦は、
親友同士の率直な語り合いだった。
それが永瀬のいいところ。
藤井も兄を慕うかのように、
永瀬に接する。
現代将棋の強者たちは、
例外なく人柄がいい。
もちろん天才の中の天才たちだ。
しかしこの天才たち、
個性はあるが人柄が素晴らしい。
子どものころから、
日々研鑽を重ねると、
人間の人柄は良くなる。
人知を超えた努力を積み重ねると、
人間は磨かれてくる。
ピーター・ドラッカーは強調する。
「マネジャーとして初めから
身に着けていなければならないものがある。
才能ではない、真摯さである」
integrity(真摯さ)も、
ドラッカーは、
「初めから」というけれど、
後天的に磨かれるのかもしれない。
それとも藤井聡太や永瀬拓也は、
初めからintegrityがあって、
努力を重ねるから、
人柄がよくなるのか。
外山滋比古さんの著書。
『知的文章術』の中に、
「日々是好日」という項がある。
「一般に技芸を身につけるには、
長い修行の期間が必要である」
将棋も囲碁も麻雀も、
野球もサッカーもゴルフも、
そしてギターやピアノも、
そして文章も仕事も。
「その修行の第一の心得は、
たゆまずすこしずつやること」
だから私は毎日、書く。
「だれでも、はじめは
たいへんな意気込みである。
朝から晩まで
時の移るのを忘れて打ち込む」
「ところが、しばらくすると、
だんだん熱がさめてきて、
忘れる日がでてきたりする」
「だいたい一度にまとめてするより、
小刻みにした方がよろしい」
「一日に一回、二時間を一気にするより、
ニ十分ずつ三回練習した方が効果がある。
合計一時間でも、
二時間をまとめてしたときに匹敵する」
「時間より回数というわけである」
同感だ。
アマチュアゴルファーで言えば、
1週間に一度、300球打ち込むよりも、
毎日、素振りをするほうが上達する」
これがなかなかできないけれど。
「断続的に長くやっていることは、
いつのまにか驚くほど
上手になっていることが多い」
「その道によって賢しということもある」
「道によって賢し」は「餅は餅屋」と同義。
そして「仕事」こそ、
道によって賢しである。
転職せずに、
ひとつの仕事に打ち込むと、
回数も時間も重ねることになる。
外山さんは郵便局の局員や、
昔の駅の小荷物がかりのことを例に挙げる。
「大変上手な、あるいは達者な字を書くのに、
日ごろからひそかに舌を巻いている」
「いつもいい字を書こうと、
心掛けているのだろう。
そうでなくてはああいう字は、
なかなか書けるものではない」
そう、「いつも心掛けている」と、
いい字になってくる。
心掛けていないと、
いい字にならない。
文章も同じだと外山さん。
「たえず書いていると、
自然、上達する」
仕事も将棋も同じだ。
たえずいい仕事をしようと心掛けていると、
自然、上達する。
そしてそれを繰り返していると、
自然、人柄もよくなる。
それを私は、
「人間力」だと思う。
嘘やごまかしが混じると、
人柄は良くならない。
羽生善治九段が言っている。
「羽生マジック」と呼ばれるけれど、
「引っ掛けのような手は考えません」
ひたすらいい手を指していると、
相手が悪手を指して、
それがマジックのように見える。
仕事も同じだ。
「引っ掛けの手段」ばかり考えていると、
それは人柄を良くはしない。
たえずいい仕事を心掛けていると、
自然、人柄が良くなる。
それは本当にありがたいことなのだ。
〈結城義晴〉