白露。
二十四節気は「立春」から始まる。
白露はその立春から数えて第15番目。
「大気が冷えてきて、露ができ始めるころ」
今年は三連休が9回あったが、
白露から始まる最後の三連休。
そのハッピーマンデーは、
スポーツの日の祝日。
それでも北海道以外全国的に、
雨模様が予想されている。
日経新聞「ニュース一言」
日本チェーンストア協会の三枝富博会長。
㈱イトーヨーカ堂会長。
「原材料価格や物流コストの上昇に加え、
円安も進行している。
経営や家計への影響は、
ひたひたと迫る足音ではなく、
猛烈な勢いで現実のものとなっている」
「ひたひたと迫る足音」ではなくて、
「猛烈な勢い」と表現する。
しがたって「企業努力だけで、
価格を維持することが困難」である。
そんななかで、
「足元では値上げの動きも相次ぐ」
賃金はすぐには上がらない。
顧客の生活は苦しくなる。
それを支えるのがチェーンストアの役目だ。
「価格維持」もその使命の一つである。
それでも「値上げ」の動きは相次ぐ。
三枝さんは言う。
消費者に近いチェーンストアは、
「適切な価格を常に
自問自答することが必要だ」
チェーンストア協会長としての発言だろう。
それぞれに「自問自答」してほしい、と。
それでもチェーンストア協会が、
一丸となって取り組むテーマはなかったか。
1967年8月2日、
日本チェーンストア協会が発足した。
ダイエーの故中内功さんが初代会長で、
1976年まで9年間、会長職を担った。
二代目会長は当時ジャスコの岡田卓也さん。
私はこのころ、㈱商業界に入社して、
チェーンストアの世界に接することになった。
岡田さんが2年間、会長を務めた。
そして次の2年間は、
イトーヨーカ堂社長の伊藤雅俊さん。
このあたりまで、
チェーンストア協会は、
一丸となっていた。
イトーヨーカ堂からはその後、
第11代と第15代会長に鈴木敏文さん、
第22代に亀井淳さんが就任。
三枝さんは伊藤、鈴木、亀井各氏に次ぐ、
4人目のイトーヨーカ堂からの会長だ。
1996年にイトーヨーカ堂が、
中国進出した時からのメンバーで、
総経理や董事長を歴任。
中国の専門家だ。
2017年にイトーヨーカ堂社長、
今年3月1日に同会長に就任し、
5月20日にチェーンストア協会会長となった。
日本チェーンストア協会発足のとき、
声明書が発表された。
起草したのが故渥美俊一先生だ。
「いかなる場合も消費者の立場に立って、
考え、決断し、行動することこそ、
我々のつねに変わらぬ商業者としての姿勢」
三枝会長の言葉は、
その「消費者の立場」を表明している。
しかし未曽有の円安や値上げが続く。
「小売業の複合危機」のときである。
「消費者の立場」に立って、
一丸となるわけにはいかないか。
それぞれに自問自答するだけでなく。
もちろん現在は一丸となって、
たとえば「価格凍結宣言」をする時代ではない。
声明文。
「日本のチェーンストアは
消費者の満足とより高い生活水準こそ、
我々の創り上げるべき価値である」
2019年10月、消費増税のとき。
その直後の10月9日、ベルサール東京日本橋。
イオン㈱の中間決算発表の記者会見。
今のようなオンラインではない、
リアルの会見だった。
岡田元也社長兼グループCEO。
消費増税だけでなく、
軽減税率やキャッシュレス問題に関して、
政府の対応は不可解だった。
月刊商人舎2019年11月号で特集した。
「波の下にある潮流」
消費増税直後の小売業トップマネジメント発言集
岡田元也イオンCEOの発言。
「消費増税や軽減税率導入が
良かったのか悪かったのか、
キャッシュレスポイント還元で
得をしたのか損をしたのか。
こういった話はイオンにとって、
大したことではありません。
まして9月の駆け込み需要はどうだったか、
10月以降の対応はどうかということも、
大した話ではありません」
「問題は、消費増税に当たって、
今回のような無茶苦茶なことが
堂々と行われたということです」
「もし今後、二度あるならば、
イオンとして考えをもって
対応しなければならない」
怒りの発言。
キャッシュレスのポイント還元問題、
軽減税率とイートインの問題、
コンビニ24時間営業への経産省の関与の問題。
岡田さんはそれぞれに根拠を示して、
そのあとで言い切った。
「今回の問題で
取り戻さなければならないのは、
民主主義だと思います」
強く同感するものだ。
「霞が関も永田町も両方ともが、
民主主義と離れた方向に流れている。
ついでに言えば、
そういうことに対するマスコミの批判も
非常に少ないのではないかと思います」
「しかしこれ以上のことを今後、
絶対させてはいけないと思っています」
今、この小売業複合危機に対して、
岡田元也さんはどう考え、
どう発言するのか。
最近は、ほとんど表に出てこない。
淋しい限りだ。
〈結城義晴〉