紅葉の季節。
10月15日からの1週間は、
新聞週間だった。
その新聞週間中、
10月16日は「新聞配達の日」。
もう死語のようになったかもしれないが、
「新聞少年の日」でもある。
10月20日は新聞広告の日。
その10・20の朝日新聞の巻頭コラム
「天声人語」
「こちらの商売柄もあるのだろう。
麻生孝さんのお名前を朝日歌壇で見かけると、
つい吸い寄せられる。
新聞配達をされているからだ」
9日に掲載された一首。
十五夜の月を見上げる午前四時
バイクを降りて手を合わせおり
麻生さんは、
「南アルプスを遠望する山梨県甲州市で、
170部ほどを毎朝配っている」
「目覚まし2個で午前0時45分に起き、
新聞を積み、懐中電灯を首からぶら下げて
暗い道を縫う」
「顔を知らない配達先も少なくない。
でも昨年、こんなことがあった。
「雪が10センチほど積もった朝。
バイクを降りて
坂道を駆け上がらねばならないし、
新聞をぬらしてもいけない」
「苦労していた先のある一軒で手がとまった」
雪の朝
コロナ禍の今ありがとう
新聞受けのメッセージに泣く
コラムニスト。
「悪天候のなか新聞を配る。
そういう方々に
わが業界は支えられていることを、
忘れてはなるまい。
そして配達を待つ人がいる」
いまや多くの人が、
ネット経由でニュースを読んでいる。
私もネットで新聞を読むことが多い。
コラムニスト。
「大切なのは、
紙だろうとネットだろうと変わらない」
「時代に迎合せず、なおかつ、
読者の期待に応えることであろう」
月刊商人舎を始めたとき私は、
「紙の雑誌と網のネットサイト」と言っていた。
「紙と網」
10月18日に第75回新聞大会が開催された。
その大会決議は、
「平和と民主主義を守るために
ジャーナリズムの責務を果たす」
コラムニスト。
「一端を担う者として、かみしめたい」
きょうも雨あしたも雨で
雨合羽乾く間もなく
新聞配る
コラムニスト。
「労苦に見合う言論を、と心にとめる」
高校を卒業して、
大学受験の浪人をしているとき、
私は新聞配達をしていた。
自分で自分を規制したかったからだ。
甘えてはいられないと考えたからでもある。
朝早く起きて、
自転車に乗って、
新聞を配る。
朝日新聞、日経新聞、日刊スポーツ。
配り終わると1部だけ、
予備のために携えていた朝日新聞を、
もらうことができた。
家に帰って、
朝食を摂ったあと、
横浜駅から御茶ノ水駅まで、
国鉄の電車で予備校に通う。
行き帰りの車中で、
隅々まで新聞を読んだ。
それまでも、
読まないわけではなかったが、
自分が配って、
多くの人たちが読む新聞を、
少しだけ理解し、
広く深く読むようになった。
大学を出て、社会人になるとき、
ジャーナリズムを志向した理由が、
この新聞配達の経験だったのかもしれない。
書く人、編む人、刷る人、
配る人、読む人。
大学時代の親友が新聞記者を目指して、
立派な記者となり、それを全うした。
私は不思議なことに、
新聞社は一度も視野に入れなかった。
ちょっとミーハーだったのかもしれない。
いろいろ模索した挙句、
㈱商業界に入って、
流通専門の編集記者となった。
書く人、編む人、刷る人、
配る人、読む人。
それにも関心をもった。
そして、今がある。
きょうも雨あしたも雨で
雨合羽乾く間もなく
新聞配る
新聞配達のお陰だ。
ありがとう。
〈結城義晴〉