11月に入った。
霜月。
霜が降りるようになる月。
November。
ラテン語の「Novem(ノウェム)」に由来する。
そしてNovemは9。
つまり9番目の月。
ローマ時代には3月から1年が始まった。
だから現在の11月は9番目の月だった。
あと2カ月。
新型コロナはやや収まりを見せたけれど、
ウクライナ戦争は、
終わる気配さえ見えない。
寒い季節になる。
戦場は過酷な時期だ。
今週木曜日の3日は文化の日。
来週月曜日の7日は立冬。
11月下旬に入って、
11月23日は勤労感謝の日。
今年は水曜日。
そして翌日が、
欧米では感謝祭。
サンクスギビングデー。
その翌日がブラックフライデー。
商人舎流通スーパーニュース。
イオンnews|
11/18から10日間・500店舗でブラックフライデー開催
11月に入って、
イオンが発表した。
今年のブラックフライデー。
11月18日(金)から27日(日)まで。
イトーヨーカ堂は10月31日に発表して、
11月15日から27日まで。
あと出しジャンケンで、
遅れてスタートする。
自信の表れか。
イトーヨーカ堂は、
衣料や住居関連の101品目、食品53品で、
合計154 品目。
アイテム数は昨年の約1.5倍。
しかしイオンは、前年の1割増で、
最大約1400品目を展開。
10倍である。
イオンのあと出しジャンケンの自信は、
ここに現れている。
故二木英徳さんを偲ぶ会。
帝国ホテルで開催された。
イオン㈱名誉相談役。
元ジャスコ㈱代表取締役社長。
元日本チェーンストア協会会長。
財団法人日本体操協会会長。
今年8月10日、逝去された。
孔雀の間に遺影が三点飾られた。
三つの年代の二木英徳(ふたぎひでのり)さん。
一人ずつ献花して合掌。
隣の部屋では故人の一生を展示で見せてくれた。
右手には大スクリーンでビデオが流された。
現在のイオンは、
1970年の三社合併によって生まれた。
岡田屋、フタギ、シロ。
二木さんはそのフタギの創業家の出身で、
岡田卓也名誉会長相談役と、
手を携えてジャスコ、イオンを成長させてきた。
東京大学経済学部を卒業し、
フタギに入社すると、
三社合併から14年後、
ジャスコ㈱の代表取締役に就任。
48歳だった。
その後、60歳の1996年まで、
社長として成長と革新を担った。
1995年には、
イトーヨーカ堂の鈴木敏文さんの後任として、
第12代日本チェーンストア協会会長就任。
1993年に全日本新体操クラブ連盟を設立し、
初代会長に就任。
新体操というスポーツを世に出した立役者だった。
その後、2001年には、
公益法人日本体操協会会長。
国際体操連盟第1回功労賞受賞、
国際体操殿堂入りも果たしている。
会場に展示された自筆のノート。
実に几帳面にきれいな字で書かれている。
それからペガサスクラブのテキスト。
メモ書きが入っていて、
よく勉強したあとが見られる。
その1976年のテキスト。
マークする米国スーパーマーケット企業。
商品はラルフとアルバートソン。
マネジメントはラッキー、
戦略はアルバートソンとボンズ。
二木さんがご自身で、
マネジメントと戦略の項目に、
ラルフと書き加えている。
しかしラルフはクローガーに買収され、
ラッキーはアルバートソンに買収され、
ボンズはセーフウェイに買収され、
そのセーフウェイはアルバートソンに買収され、
最後にアルバートソンがクローガーに買収された。
ここに並んだチェーンは今、
全部、クローガーの傘下となった。
そしてここには、
クローガーの社名は入っていなかった。
ああ。
イオンはクローガーに似ている。
私はそう言い続けている。
クローガーは合併のマネジメントに長けている。
「ジャスコ」の社名は、
社内公募によって決定されたが、
その提案者が二木榮海さん。
二木英徳さんの奥様だった。
ビデオでは内村航平選手がコメントした。
「もう本当に素晴らしい方だなって思いました」
二木さんご自身の発言の映像も。
その二木さんはジャスコ社長時代、
「現場の英雄」という言葉を使って、
育成キャンペーンを展開した。
「現場の英雄」
素晴らしい。
会場入り口では、
岡田元也イオン会長が、
主催者として出迎えてくれて、
久しぶりに話した。
会場では、
井出武美イオンリテール㈱社長と会って、
イオンスタイル天王町の話をした。
私は二度、二木さんの前で、
講演したことがある。
思い出して、ひどく恐縮した。
二木英徳さんを偲ぶ。
実にいい会だった。
「現場の英雄」は、
まだまだ続々と生まれている。
ご冥福を祈って、合掌したい。
〈結城義晴〉