東京・自由が丘。
雨が上がって、夕方になった。
花屋モンソーフルール。
店頭にはいつも、
シャンソンのメロディが流れる。
1月には白い花が似合う。
値ごろの価格。
横浜・妙蓮寺の竹塀。
そして冬の銀杏。
葉は散っても夜空に映える。
2023年に入って1月も半ば。
原稿執筆やテキストづくりの仕事はある。
けれどそれに取り組む前に、
グダグダと時間を過ごす。
この時間が無駄だとは思わない。
朝日新聞「折々のことば」
第2615回。
人がそれぞれの一生で
「やるべきこと」、
実はナニモナイことの
裏返しなのかもしれない
〈大竹伸朗(しんろう)〉
大竹は1955年、東京・目黒生まれの現代美術家。
高校を卒業した後、
北海道別海町の牧場で働く。
それから1年間、ロンドンに滞在。
1980年、武蔵野美術大学油絵学科卒業。
82年には初の個展を開催し、
以来、国内外で精力的に活躍する。
〈大竹伸朗展より©Shinro Ohtake, photo by Shoko〉
「予定が詰まってくると
決まって別のことが
したくなる」
実によくわかる。
大竹は個展や展覧会の締め切りに追われる。
そして予定が詰まってくると、
別のことがやりたくなる。
「これが課題だと
自明のように言われるものに
流されないためには、
言葉では捉(とら)えられない
“小数点以下”の残像や、
自分の中をふとよぎる
得体(えたい)の知れない感覚を
すばやく感知し、
それがグニョグニョ動きだす
瞬間に立ち会うこと」
「信じるに値するのはそれだ」
(随想集『見えない音、聴こえない絵』から)
私はよく、
「脱グライダー商人」をお薦めするけれど、
そのためには、
「これが課題だと
自明のように言われるもの」に、
流されてはいけない。
もちろんルーチンの仕事は、
さっさと片付ける。
そのスキルは必須だ。
だがそれによって生まれた、
自分の時間を使って、
「言葉では捉(とら)えられない
“小数点以下”の残像」や、
「自分の中をふとよぎる
得体(えたい)の知れない感覚」を、
すばやく感知する。
その得体のしれないものと遭遇する瞬間こそ、
「信じるに値する」ものだ。
それがアイデンティティだ。
自分らしさである。
大竹伸朗のエッセイを読むと、
子どものころからその瞬間に出会って、
それを大切にしていたことがわかる。
北海道の牧場で働いたことも、
突然ロンドンに行ったことも、
そのためだった。
美術家だけではないと思う。
音楽家や文筆家はもちろん、
学者も政治家も、
経営者も商人も、
それをもっていることが、
生きる意味である。
渡米している岸田文雄首相。
残念ながらそれが、
不足しているように見える。
テレビや新聞を通じた印象でしかないが。
同じく「折々のことば」
第2611回。
才能は自然の賜物(たまもの)以上に
社会の創造である。
それは蓄積された資本であり、
それを受取る者は
その受託者たるにすぎない。
(ピエール=ジョゼフ・プルードン)
「才能に恵まれた人といない人。
その不平等が社会には厳然とある」
「が、どんな優れた天性も
社会から与えられる援助と
数多くの先行者や手本がなければ、
稔(みの)る前に枯れてしまう」
「才能は個人の特性
=所有物(プロパティー)ではなく、
社会の”希望”のために
預かっているものである」
〈『所有とは何か』(長谷川進訳)から〉
プルードンはフランスの社会主義者。
(1809年~1865年)
「無政府主義の父」などと称されるが、
才能は個人の所有物ではなく、
社会の創造物であり、
「社会の希望」であるという点は、
賛同できる。
美術家や音楽家、文筆家、
学者も政治家も、
経営者も商人も、
才能ある者の「才能」は、
社会が創造したものであり、
社会の希望である。
〈結城義晴〉