日本列島を寒気団が覆う。
今日も寒い。
寒いほうが商売はうまくいく。
だから喜ばねばならない。
正午ごろに東京の赤坂見附へ。
ホテルニューオータニ東京。
清水信次さんのお別れの会。
㈱ライフコーポレーション創業者・名誉会長。
10月25日にご逝去。
私は11月7日のブログで訃報を書いた。
大正15年生まれの清水さんは、
私の両親と同じ年の生まれ。
故渥美俊一先生とも、
大学の恩師・壽里茂先生とも同年。
父のような存在だった。
お別れの会場に入ると、
正面に花祭壇。
清水さんの遺影は、
左手を頬に当てるポーズ。
とても清水さんらしいと思った。
拝礼し、献花をして、合掌した。
花祭壇の右端に、
四葉のマークがつくられていた。
献花が終わると、
岩崎高治社長がモーニングをまとって、
一人ひとりに挨拶をしてくれた。
是非とも清水信次の遺志を継いで、
さらに発展させてほしい。
心配はないけれど、
何でも応援します。
そう、思った。
そのわきに並木利昭さんが控えていた。
並木さんは小さな声で言った。
「丁寧な追悼文を書いていただきまして、
ありがとうございました」
月刊商人舎12月号のことだ。
「特別企画 訃報 清水信次」
尊敬する清水さんの追悼文。
書かせていただいただけで感謝です。
次の間には、
清水さんの想い出の品や写真が展示されていた。
18歳で大阪貿易学校に入り、
剣道一筋に打ち込んだ頃の写真。
清水商店を設立して、
詳細を発揮し始めたころの家族写真。
会場中央の大型画面では、
「朝まで生テレビ」の画像が流されていた。
清水さんの情報量はすごかった。
毎朝、新聞の一般紙6紙を読んで、
重要な記事は切り抜きしていた。
晩年は大きなルーペを使っていた。
日経新聞の記事。
大きな写真が展示されていた。
伊藤雅俊さん、岡田卓也さんと並んだ写真。
「私心、私欲、私権を捨てよ」と、
清水さんの言葉が掲げられている。
この写真の言葉は、
「外見や肩書でなく、
裸一貫中身で勝負だ」
最後に車の運転の写真。
エピソードが記されている。
「運転するのが好きな人だった。
乗車する人や部下たちは安全の為、
後部座席に座らせた。
ドアマンがホテルに到着した車の
後部ドアを開けたら、
秘書が出てきて大いにびっくり!」
清水さんらしい。
会場を後にするとき、
これで本当にお別れだと思った。
清水さんへの[Message]
私の好きな人
笑顔の人。
大声の人。
晴れやかな人。
勇敢な人。
正義の人。
闘う人。
機敏な人。
元気な人。
世話好きな人。
三度、命拾いをした人。
死を覚悟した人。
懐に飛び込む人。
根は優しい人。
頼れる人。
かわいい人。
太っていても、やせていても。
大きくても、小さくても。
若くても、老いていても。
男でも、女でも。
日本人でも、外国人でも。
豊かでも、貧しくても。
心の力をもつ人。
頭の力のある人。
言葉の力にあふれた人。
私の好きな人。
ポリティカル・マーチャント。
たとえば清水信次。
合掌。
こころからご冥福を祈ります。
そのご遺志は、
産業を挙げて、
みんなで必ず、継いでいきます。
ありがとうございました。
〈結城義晴〉