3・11。
「2011年3月11日の午後2時46分。
あの巨大地震、想像を絶する大津波。
岩手県、宮城県、福島県、そして茨城県。
東北地方と関東地方の東日本全域に
大きな傷跡を残し、
数多の貴重な命を奪っていった。
深い傷跡の一つ、福島原子力発電所は
いまだ目途が立たない。
根強い風評は残り、
ややもすると人々の意識には
風化の気配が立ち込める。
しかし私たちは絶対に忘れてはならない」
商人舎2014年3月号。
Cover Messageで書いた。
東日本大震災から12年。
一巡り。
午後2時46分。
部屋でひとり、
黙祷した。
朝日新聞「折々のことば」
第2670回。
「なんにもない日、
おめでとう!」
〈齋藤陽道(はるみち)〉
「東日本大震災を機に、
いつどこでどうなるか、
誰にもわからないと
心底思うようになった」
私もそう思う。
南海トラフ沿いの大規模地震は、
今後30年以内に発生する確率が、
70から80%あると、
気象庁地震火山部は警告している。
齋藤。
「今日”おはよう”と言えるのも、
見えない誰かに支えられてのこと、
ちっとも”あたりまえ”でない」
その通り。
だからこそ「おはよう」は、
素晴らしい。
なんにもない日の「おはよう」は、
素晴らしい。
「ある朝、3歳の長男が、
誰の誕生日でもないのに、
うきうきと体全体で
“みーんな♪ おめでとおー!”
と歌いだしたので、思わず万歳した」
子育て日記『せかいはことば』から。
齋藤陽道は 1983年、東京都生まれ。
写真家、エッセイスト、
障害者プロレスラー。
生れたときから先天性の感音性難聴だった。
障害者プロレス団体「ドッグレッグス」所属。
2010年、写真新世紀優秀賞。
2014年、日本写真協会新人賞受賞。
万代ではお客さまに、
「いらっしゃいませ」ではなく、
「おはようございます」と言う。
圓石一治さんが始めた運動だ。
なんにもない日。
普通の日の朝、
お客さまに声をかける。
「おはようございます」
何度も声をかけていると、
お客さまから「おはよう」が返ってくる。
「今日”おはよう”と言えるのも、
見えない誰かに支えられている」
なんにも起こらなかったという、
今日の事実に支えられている。
東北と北関東の震災も、
阪神淡路の震災も、
トルコ・シリアの震災も、
起こる時には起こった。
そのことを忘れてはならない。
そして今日も、
「なんにもない日、
おめでとう」
合掌。
〈結城義晴〉