東京・自由が丘。
2カ月ぶりだ。
花屋、パン屋、そして豆腐屋。
その「朝の仕事」は、
見ているだけでうれしくなる。
横浜駅には福井の桜の写真。
北陸新幹線が福井まで開通。
商人舎オフィスの裏の遊歩道にも桜。
岡野町まで歩いてランチ。
大繁盛店の家系総本山吉村家が閉店。
いつもいつも大盛況だった。
店内は壊されている。
なじみ客が何人も訪れて、
店内をのぞき込んでいる。
しかし来週には、
近隣に新店としてお目見えする。
スクラップ&ビルドである。
吉村家の創業は1974年、横浜新杉田。
店主は吉村実。
一軒の小さなラーメン店だった。
とんこつと鶏ガラベースの、
コクの深いスープに、特製醤油ダレ。
極太麺にそのスープが絡む。
この一品が評判に評判を呼んで、
「家系」と呼ばれる日本ラーメン店の頂点となった。
今では直弟子、孫弟子を含めて、
全国に300人。
吉村は徹底して自分の味にこだわる。
毎朝5時からラーメンを仕込む。
ラーメン屋も朝の仕事なのだ。
新装開店、楽しみだ。
一日中、横浜商人舎で仕事。
のんびりした感じもいいもんだ。
さて日経新聞「私の履歴書」
今月は唐池(からいけ)恒二さん。
JR九州の社長、会長を歴任し、
いま相談役。
私よりも一つ年下だ。
国鉄の民営化を体験し、
そのプロセスでJR九州を建て直した。
その立て直しの1987年に、
丸井に出向して、
小売業の基礎を学んだ。
国鉄と丸井は正反対だった。
さらに1993年には、
流通事業本部の外食事業部を改革する。
「外食事業部 夢を語り3年で黒字化」
自慢話ではあるけれど、
とてもいい。
「1993年3月に外食事業部次長を拝命した。
事実上の部門トップだ」
売上高の25億円に対して、
営業赤字8億円だった。
ここである本をお手本にする。
井上恵次著『食堂業 店長の仕事』
懐かしい。
1993年、柴田書店から発刊された。
「食堂業」という言葉は、
いまや死語に近いけれど。
唐池さん。
「これだという本に出合ったら
徹底的に読み込み、信じるのが
私のやり方だ」
これはとてもいい本の使い方だ。
「2カ月間猛勉強し再建計画をまとめ、
JR九州の幹部に宣言した」
「3年で黒字にします」
「店長に月次決算を作らせ
コストを把握すると改善点が分かる」
「食材の一括仕入れなど基本を徹底した」
「年1回だった店長会議は毎月4時間」
そのまえの外食事業部がひどすぎた。
それでも95年度、外食事業部は、
見事黒字に転換した。
96年、JR九州フードサービスが誕生し、
唐池さんは新会社の社長を務めた。
井上恵次さんの本が役に立った。
素晴らしい。
井上恵次さんは、
柴田書店の『月刊食堂』編集長から、
編集部長になった。
柴田の「顔」だった。
商業界で言えば、
故緒方知行さんのような存在。
ともに故渥美俊一先生から評価を受けていた。
井上さんは、
1939年、福岡県生まれ。
緒方さんも同年、大分県生まれ。
その後、井上さんは、
1978年にロイヤルに入社。
編集者から実務家への転身である。
緒方さんがイトーヨーカ堂に入社するような話だ。
ありそうな話だが、それはなかった。
1986年にはロイヤル副社長。
在任中にベッカーズを創設して、社長に就任。
あまりうまくはいかなかったが、
業界では話題になった。
90年にはベッカーズ社長を退任して、
井上フードビジネスコンサルタンツを主宰。
商業界では「飲食店経営」の執筆者となり、
『外食経営用語事典』を発刊した。
こういった本が経営改革に活かされる。
実に誇らしいことだ。
久しぶりに井上恵次さんを思い出して、
ちょっとうれしくなった。
吉村家の新店オープンも待ち遠しい。
商売の「朝の仕事」は、
とてもいい。
〈結城義晴〉