4月に入った。
日本社会全般で新年度が始まる。
学校では新学期が始まる。
3月決算の企業は、
4月からが新年度だ。
キリがいい。
この1年、どう変わろうか。
どんな新しいことをしようか。
どう成長しようか。
この1年、どんな人に会うのだろうか。
どんなものが現れてくるのだろうか。
どんな所に行けるのだろうか。
想像は膨らむ。
その発足の会で私は、
次の30年、現役を続けると宣言した。
それまでの30年間は、
㈱商業界にいた。
発足の会のときは、
社会人になって仕事を始めてからの、
折り返し点のつもりだった。
それから15年が経過した。
今度は次の30年における折り返し点だ。
今年やることは決めた。
それがポストコロナと合致した。
4月半ばごろに発表する。
楽しみにしていただければ幸いである。
1977年の4月1日に、
私は㈱商業界に入社した。
あのころは、
今の自分のようになるとは、
考えもしなかった。
不安だらけだったが、
夢らしきことも抱いていたし、
時間は無限にあると思っていた。
それから46年が経過して、
当時の不安は消え去ったが、
かわりに夢も小さくなった。
時間には限りがあることを知った。
今は、やれることを、やる。
若い人たちに期待する。
その「第十三段」
「一人、燈火の下に、
文を広げて、
見ぬ世の人を友とするぞ、
こよなう慰(なぐさ)む業(わざ)なる。」
これはわかりやすい。
書物を開いて、
見たことのない時代の人を友とする。
それがこよなく慰められることになる。
見たことも会ったこともあるけれど、
亡くなってしまってもう会えない人も、
その人が書いた本を広げると、
親しい友とすることができる。
これもうれしいことだ。
だから私も本を書いておこうと思う。
「第十五段」
「いづくにもあれ、
暫(しば)し旅立ちたるこそ、
目覚(めざ)むる心地(ここち)すれ。」
どこであろうと、
しばらくの間、旅をすることは、
目が覚めるような新鮮な気分になる。
コロナ禍が終わって、
旅ができるようになった。
うれしい限りだ。
「さやうの所にてこそ、
万(よろず)に、
心遣ひ(心づかい)せらるれ。」
そんな旅先だからこそ、
すべてにわたって心が鋭く働く。
「持てる調度まで、
良きは良く、
能ある人、容貌良き人も、
常よりはをかしとこそ見ゆれ。」
持ってきた身の回りの品なども、
良いものはより良く感じられるし、
能力のある人や容姿の優れた人は、
いつもよりも素晴らしく見える。
旅は心が鋭敏になる。
その鋭敏な心で、
私たちは人やその土地を見る。
ときには店を見る。
素晴らしさが倍増する。
「第十八段」
「人は、
己れを約(つづま)やかにし、
奢(おご)りを退(しりぞ)けて
財(たから)を持たず、
世を貪(むさぼ)らざらんぞ、
いみじかるべき。」
人は自分の生活を質素にし、
贅沢を退けて、財産を持ちすぎず、
私利に貪欲でないことが、
とても良い。
財産があることは、
悪いわけではない。
「貧すれば鈍す」に陥ってはならない。
しかし私利に貪欲すぎるのは、
「いみじかるべき」だ。
「昔より、
賢き人の富めるは、
稀(まれ)なり。」
ん~、ズバリ。
吉田兼好は当時の社会では、
いわば敗者だった。
だから、の発言であるかもしれない。
富める者で、
なおかつ賢き人は、
稀であってもいた。
46年前の4月1日。
徒然草はもちろん読んだことがあったが、
それを真に理解はしていなかった。
今年度もやれることを、やろう。
〈結城義晴〉