第20回統一地方選挙投票日。
4年に一度。
今日4月9日の前半戦と、
23日の後半戦。
前半戦は道府県の知事と議員、
政令指定都市の市長と議員。
後半戦は市区町村の首長と議員。
戦後の1947年、
全国の都道府県、市町村が一斉に、
第1回統一地方選挙をやった。
だから「統一地方選挙」と称された。
そのほうが全国的に関心が高まり、
投票率も上がる。
しかし、途中で辞任する首長が出たり、
議会が解散になったりして、
どんどん崩れていった。
今日の前半戦は、
9道府県知事選と6政令市長選など。
実際に私の住んでいるエリアでは、
神奈川県知事選は行われるが、
横浜市長選挙は行われない。
2021年8月22日に投開票されて、
山中竹春市長が誕生している。
選挙に行こう、
投票しよう。
ずっとそう呼び掛けている。
選挙の投票は大抵、日曜日である。
国民が投票しやすい日だからであろう。
しかしその日曜日に、
小売業やサービス業は、
仕事がある。
だから投票しにくい。
考えてみると今の日本という国は、
投票しやすい人たちの社会になっている。
けれど投票しにくい人たちが、
投票すれば世の中は変わる。
必ず。
期日前投票の制度も普及してきた。
だから選挙に行こう、
投票しよう。
校門の前に立候補者のポスター掲示板が立っている。
右が横浜市議会議員立候補者、
神奈川県議会議員立候補者。
そして県知事立候補者。
県知事選挙には4人が立候補したが、
2人しかポスターを張っていない。
無風選挙。
結果は見えている。
しかし投票行為はする。
そして投票証明書をもらってきました。
当選したら、
いい政治をしてもらいたい。
お願いします。
朝日新聞「折々のことば」
第2698回。
正しさの上に
正しさをつみあげる
という仕方で、
ひとはどのように
成長できるだろうか。
(鶴見俊輔)
「ある小学校で算数の教師が
黒板に円を書き、
児童に書き写すよう求めた」
「一人の児童が
みなよりうんと遅れて
ようやく書き上げたのは、
黒くべた塗りした上に
円を白抜きにした画(え)であった」
「人生の問題、人類史の問題には
いろんな答えがありうる。
間違いをもふくめ
別様の答えの内に潜む
豊かな”想像の芽”を摘んではならない」
〈『教育再定義への試み』から〉
鶴見俊輔は2015年に亡くなった。
1922年(大正11年)生まれで、
中内功さんと同年。
ハーバード大学で哲学を学んだ。
米国のプラグマティズムの紹介者。
深い深い思想から広い広い大衆文化まで、
驚くほどの博識だった。
正しさの上に
正しさをつみあげるだけでは、
成長はない、
進化はない。
いろんな答えがありうる。
間違いをもふくめて、
「別様の答え」の内に潜む、
豊かな”想像の芽”を大切にしたい。
選挙もいろいろな人が立候補し、
いろいろな人が投票する。
より多くの人が投票して、
豊かな「想像の芽」を、
票数にするのがいい。
死票はない。
それぞれの投票自体が、
黒くべた塗りした上の、
白抜きの円であっていい。
当選した者が偉いのではない。
勝ったのでもない。
重い責任が生じるということだ。
票を投じた者たちにも、
重い責任が生まれる。
それが良くも悪くも民主主義だ。
そしてまた今日、民主主義が行われた。
仕事や商売に置き換えると、
正しさのうえに正しさを積み重ねても、
顧客たちがみんな喜ぶとは限らない。
黒くべた塗りした上の、
白抜きの円を喜ぶ顧客がいるし、
それがどんどん増えていくこともある。
これも商売の民主主義だ。
〈結城義晴〉