月に一度の検査と診察。
私にとって必須の行動。
けれど病院に行くという憂鬱な感じはない。
東京駅はいつ見ても心安らぐ。
東京駅は1914年、大正3年に開業。
大正ロマンを思い浮かべて、
心が和む。
大手町を歩いて、
産経ビルの前広場のオブジェ。
「イリアッド・ジャパン」。
アレキサンダー・リーバーマン作。
「イリアッド(Iliad)」は、
英語でホメロスの「イリアス」のこと。
日本に出現したイリアス。
イリアスといえばトロイの木馬。
赤い、巨大な木馬が大手町に登場!
といったところか。
その隣の大手町プレイスタワー。
このビルの地下1階に、
私の病院がある。
大手町プレイス内科。
血液を採って、
検査を受け、診療してもらって、
指示を受ける。
私は田嶼尚子先生の言うことは、
絶対的に聞く。
それがとてもいい。
会社にもどるとき、
東海道線の茅ヶ崎駅で人身事故があって、
電車が遅れた。
最近、この電車の人身事故が、
よく起こっているような気がする。
戻るともうZOOM会議は始まっていた。
㈱万代の人事部マネジャーの人たちと、
万代知識商人大学の打ち合わせ。
2016年にスタートして、
今年度は第8期。
もう240人の修了生がいる。
毎講義に万代の役員の人たちを中心に、
講師をお願いし、
阿部秀行社長がその講義を、
すべて聴講している。
今後の講義内容を確認して、
より良いものをつくる。
右から津田睦さん、
石川慎也さん、海野正敏さん。
今年の論文と発表に関して、
新しいアイデアを提案した。
検討してみてください。
吉田兼好の「徒然草」
第百二十ニ段。
「人の才能(さいのう)は、文(ふみ)明らかにして、
聖(ひじり)の教へを知れるを、
第一とす。
次には、手(て)書く事、
旨(むね)とする事は無くとも、
これを習ふべし。
学問に、便(たよ)り有らん為なり」
「人間たるもの、身に付けたい才能は、
まず第一に、古典を読んで血肉化し、
古代の聖人の教えを知ることである」
(島内裕子訳)
兼好の時代の古典は、
現在の知識商人で言えば、
ピーター・ドラッカーやフィリップ・コトラー、
さらにエリヤフ・ゴールドラットなどなど、
数多ある名著と考えていいだろう。
「その次には、字を書くこと。
書道の専門家にまではならなくても、
筆を取って文字を書くことを習うべきである。
これは学問するにつけて、
何かと便利であるからだ」
手書きのレポートもいいし、
パソコンで打ち込むこともいい。
文字を書く習慣をもつ。
それは古典を読むときにも、
考えをまとめるときにも、
何かと便利であるからだ。
次の「第百二十三段」で、
兼好は追い打ちをかける。
「無益(むやく)の事を成(な)して時を移すを、
愚かなる人とも、
僻事(ひがごと)する人とも言ふべし」
「役にも立たない、
つまらないことをして、
時間を潰す人は、愚かな人とも、
さらに言えば、
非道なことをする人と言ってもよい」
愚かな人はわかるが、
非道なことをする人とまで言うか。
つまらないことをして、
時間をつぶすのは、
無駄なことだ。
知識商人大学の1年間は、
それらを一切排除して、
現代の古典に親しんでほしいものだ。
いつもいつも古典の研究をする必要はない。
学者ではないのだから。
でもそれに親しんで、
大局的にものを考える習慣は必要だ。
世のため、
人のため、
そして、
己のため。
〈結城義晴〉