岡田卓也さんが、
旭日大綬章を受章された。
イオン㈱名誉会長相談役。
真っ先に思った。
故倉本長治先生が、
しみじみと喜んでくださっただろう。
岡田さんは倉本先生の愛弟子中の愛弟子だ。
故中内功さんも、
故伊藤雅俊さんも、
ちょっと悔しいかもしれないけれど、
すごく喜んだに違いない。
お二人は岡田さんの先輩であるし、
同志である。
故渥美俊一先生も、
ご自分のことのように、
嬉しがってくださっただろう。
コンサルタントとしてサポート役に徹した。
もちろん私も嬉しい。
小売業、商業の地位が認められたと思う。
令和5年春の叙勲。
旭日大綬章は、
かつての勲一等旭日大綬章。
「勲章制定ノ件」にある。
「国家又ハ公共ニ対シ勲績アル者ニ之ヲ賜フ 」
小売業ではもちろん初の受章。
政治家、裁判官などが受賞する勲章だが、
民間では奥田碩トヨタ自動車会長、
渡邉恒雄読売新聞グループ会長、
中村邦夫松下電器産業社長、
樋口廣太郎アサヒビール会長、
御手洗富士夫キヤノン会長など。
製造業、とくに重厚長大産業の、
傑出した経営者が受章してきた。
労働界では、
高木剛日本労働組合総連合会(連合)会長も。
高木さんは商人舎発起人のお一人。
岡田さんの受章の理由は、
「小売業の近代化と発展への貢献」
イオンの前身ジャスコの社是は、
「商業を通じて地域社会へ奉仕しよう」
理念は
「お客さまを原点に平和を追求し、
人間を尊重し、地域社会に貢献する」
そして岡田卓也さんの、
キャッチフレーズのようになっているのが、
三つの産業論。
平和産業、
地域産業、
人間産業。
イオンはセブン&アイと並んで、
日本最大の小売業となった。
産業のなかで重要な役割も担った。
1976年、日本チェーンストア協会二代目会長。
1995年、日本小売業協会会長。
1993年、財団法人日本ファッション協会理事長、
1995年、日本ショッピングセンター協会会長。
商業界ではエルダー。
一方、社会貢献活動を積極的に展開した。
私財を投じて3つの財団を立ち上げた。
「公益財団法人 イオン環境財団」では、
世界各地で「植樹」活動を推進した。
「公益財団法人 イオンワンパーセントクラブ」は、
青少年育成などの社会活動に努めた。
「公益財団法人岡田文化財団」は、
芸術・文化の振興・発展と教育機会を設け、
伝統産業の振興に努めた。
受賞にあたってのコメント。
「このたびの春の叙勲を受章することに際し、
身に余る光栄であると感じております。
長きにわたり、共に小売業発展のため、
ご尽力されてきた同志や、
その経営を支えられた従業員の皆さまを含め、
多くの方々に支えられたことに
感謝しております。
今回の叙勲は、小売業の重要性が
社会的に認識されたと感じており、
日本の小売業全体としても
大変栄誉あることで、
重ねて、関係者の皆さまに
厚く御礼申し上げます。
これからも、小売業のさらなる発展を願い、
地域社会への貢献に
引き続き寄与してまいります」
実に謙虚な、いいコメントだ。
1925年(大正14年)9月19日のお生まれ。
中内功さんは三つ年上、
伊藤雅俊さんは一つ上、
故清水信次さんや渥美先生は一つ下。
1946年6月、㈱岡田屋呉服店代表取締役就任
1959年11月、㈱岡田屋に社名変更して代表取締役就任
1970年4月、ジャスコ㈱代表取締役社長就任
1984年5月、ジャスコ㈱代表取締役会長就任
2000年5月、 ジャスコ㈱名誉会長相談役就任
2001年8月、イオン㈱に商号変更して、
名誉会長相談役(現任)。
1985年、藍綬褒章受章。
国際的にも数々の栄誉を受けた。
1985年、全米小売業者協会国際小売業者賞受賞
1986年、台湾経済部奨牌受賞
1989年、大英勲章C.B.E.受章
2007年、カンボジア王国 Le Grand Officer 受章
2007年、タイ王国勲三等ディレクグンナポーン賞受章
2009年、北京市栄誉市民賞受章
2010年、カンボジア王国 Le Grand Cross 受章
2017年、ベトナム ハノイ市名誉市民章受章
私は『岡田卓也の十章』という単行本を、
商業界社長時代の最後につくった。
岡田さんの実印が押された本だ。
その「あとがき」が素晴らしい。
全文を紹介しよう。
「わたしは、常々、
あれだけの自由競争の中でやってきた
アメリカ商業の歴史を、
日本の商人はきちんと学ぶべきだと思っている」
「私が初めてアメリカに行った1950年代、
世界最大の小売業はA&Pだった。
当時、既に1万店近い小型のスーパーマーケットを
アメリカ全土につくっていた。
ところが、その1万店近い店舗を持っていた企業が、
没落するのである。
原因は、店舗のスクラップができなかったことと、
A&P自身の出自にあった。
A&Pは、メーカーから出発した会社で、
自分の工場を幾つか持っていた。
そして、工場を持った小売業には、
そこから仕入れなければならないという
不自由さがあった。
小売業の大きな特徴の1つは、
『メーカーのつくったものを選択できる』
ということである。
ところが、自分でメーカーになってしまうと、
どうしても自社製品を買わなければならなくなり、
小売業としての特徴がなくなってしまうのだ」
「そして、その後に出てきたのが
シアーズローバックであり、
そのシアーズローバックに
『追いつけ、追い越せ』と
成長してきたのがKマートだった。
創業時にはクレスゲという
バラエティストアを展開していた同社を
売上高世界一の座に押し上げたのは、
ハリー・カニンガムという経営者だった。
彼はクレスゲの店舗を
片っ端からスクラップし、
Kマートというディスカウントストアを
次々と大都市郊外に出店させる。
同社がカリフォルニアの郊外に
出店を敢行している最中に、
わたしがその店舗開発事務所を訪れると、
『7、8人の社員で
年間200店もの店舗をつくっている』と言われた。
その勢いのまま、シアーズを抜いて、
世界最大の小売業になったのである」
「そのKマートを、
後ろから追いかけてきたのが
ウォルマートだった。
ウォルマートは、
Kマートよりもさらに郊外に、
Kマートより大きな店をつくることで
急成長したのである。
戦後60年間のアメリカ商業の歴史には、
これだけの栄枯盛衰があった」
「ウォルマートとて、
今から20年後、30年後には
どうなっているか分からない。
必ずしも、
今大きいところがいつまでも大きい、
ということはあり得ない。
これからの日本においても、またしかりだ」
「しかも、規制が厳しかった小売業は、
裏を返せば、一番レベルの低いところに
合わせて安住してきた業界ともいえる。
その意味でも、これからの変革は
非常に大きなものになり、
必ず新しい勢力が出てくるはずだ。
わたしには、イオンが30年後に
どうなっているかは分からない。
小規模の段階で革新を行うのは
そんなに難しいことではないが、
規模が大きくなればなるほど
ものすごい力が必要になる。
しかし、思い切った革新を行わなければ、
企業は必ず衰退する」
「と同時に、規模の大小にかかわらず、
どんな企業でも倫理観を失ったときが一番危ない。
小売業は毎日毎日お客さまに接する、
まさに人間産業だ。
小売業の行動は、人間であるお客さまが
毎日毎日見つめていらっしゃる。
もし、人間の道にもとるようなことがあれば、
企業は一気に倒産する。
『どうやって毎日
お店にいらっしゃるお客さまから
信頼を勝ち得るか』――。
小売業は、真剣勝負の連続である」
岡田卓也さんが、
「小売業の近代化」に貢献したならば、
これからの人たちは、
「小売業の現代化」を模索し、
成し遂げなければならない。
〈結城義晴〉