ゴールデンウィーク最後の日は、
打って変わって雨。
石川・能登の地震。
こどもの日の5月5日、
珠洲市で最大震度6強が起こった。
そのあとも、
震度1以上が52回も発生した。
政府の地震調査委員会の指摘では、
地下水などの移動が関係している可能性がある。
地震に地下水が関係しているのか。
深さ20~30キロにあった水が、
徐々に上がっていって、
震源も徐々に浅くなっていった。
県内では1人の方が死亡。
33人が怪我をした。
お見舞い申し上げたい。
黄金週間最後の日は、
1日中、家にいて、
のんびりした。
アメリカ出張が控えている。
朝日新聞「折々のことば」
第2725回。
七色の紫陽花の咲く
この国の大切な人、
きみと君とキミ
(俵万智『青の国、うたの国』から)
編著者の鷲田清一さん。
「多様性という考えは大事だが、
多様性という言葉は危うくもある」
同感だ。
「たとえばLGBT。
しばしば多様性のシンボルのごとくに語られる」
俵万智さん。
「多様性という言葉でさえ、
何かをひとまとめにしようとする」
これにも同感だ。
「”きみ”と呼びあう二人称の存在にも、
さまざまなニュアンス、
〈虹〉のように微細で鮮やかな
グラデーションがある」
だから「きみと君とキミ」なのか。
多様であることは真実だ。
だからその多様であることを、
認めつつ、自覚しつつ生きるのがいい。
マス・マーケティング一辺倒の中にいると、
息苦しくなる。
しかし「多様性」を連呼すると、
またその「多様性」に縛られてしまう。
かつて「大衆」の時代から、
「小衆」や「分衆」の時代へ、などと言われた。
しかしその小さいことや分かれていることを、
ひとまとめにして縛ろうとしてしまった。
「分衆」という言葉は1985年の新語・流行語大賞。
博報堂生活総合研究所編の「分衆の誕生」で定義された。
そうしたら今度は電通が「小衆」と言い出した。
大衆というマスマーケティングから、
分衆や小衆というSTPマーケティングへ。
そんなニュアンスがあった。
俵万智の「きみと君とキミ」は、
さらにワン・トゥ・ワンへの変貌を意図している。
考え方はとてもいいけれど、
作為の歌自体はあまりよろしいものではない。
俵万智も60歳。
早稲田大学文学部の学生のころ、
佐佐木幸綱に師事して短歌を始めた。
私の従妹も佐佐木の弟子だった。
「先生に認められた」などと、
とても喜んでいた。
そして俵万智は、
神奈川県立橋本高等学校の国語教師になり、
1987年に『サラダ記念日』を大ヒットさせた。
私もこの歌集を買った。
考えてみるとサラダ記念日も、
分衆・小衆と言われ始めた時代の歌集だった。
2006年、第11回若山牧水賞を受賞。
その年から宮城県仙台市に居住。
2011年3月11日、東日本大震災のあと、
沖縄県・石垣島に移住。
さらに2016年、宮崎市に移転。
エッセイのタイトルにある「青の国、歌の国」は、
牧水の生まれた宮崎のことだ。
俳人や歌人はあちこちと流浪するものらしい。
商人がひとつのところに居つくのとは反対だ。
「多様性」という言葉に縛られる。
これはパラドックスだ。
以って自戒としよう。
〈結城義晴〉