8月6日。
1945年8月6日午前8時17分。
第二次世界大戦の終わりのとき。
連合国のアメリカ合衆国は、
枢軸国の大日本帝国に対して、
原子爆弾「リトルボーイ」を実戦使用した。
〈広島市ホームページより〉
広島市。
人類史上初の都市に対する核攻撃。
当時の広島市の人口は35万人。
最大で16万6000人の人々が、
被爆とその後の4カ月以内に死亡した。
それから78年。
この問題に対して、
人類は反省もしていなければ、
解決の論理も見出してはいない。
現実主義者も理想主義者も。
ユヴァル・ノア・ハラリは、
『21Lessons』の中で言っている。
「人間の愚かさは、
歴史を動かすきわめて重要な要因なのだが、
過小評価されがちだ」
「政治家や将軍や学者たちは世界を、
入念で合理的な計算に基づいて
それぞれの手が指される
巨大なチェスの勝負のように扱う」
「これはある程度まで正しい。
駒をでたらめに動かすような、
狭い意味で頭のおかしい指導者は、
歴史上稀だ」
東條英機も、サダム・フセインも、
キム・ジョンイルも、
合理的な理由に基づいて、
それぞれに手を指した。
「問題は、世界がチェス盤よりもはるかに複雑で、
人間の合理性では本当に理解できない点にある」
「したがって、合理的な指導者でさえ、
はなはだ愚かなことを
頻繁にしでかしてしまうのだ」
では、世界大戦を、
どれほど恐れるべきなのか?
「両極端の考え方は避けるのが最善だ」
「一方で、戦争は断じて不可避ではない」
冷戦は平和な形で終わった。
「人間が正しい決定を下したときには、
超大国の争いさえ、平和に解決できる」
その一方で、
「新たな世界大戦が
避けられないと決めてかかるのは、
とりわけ危険だ」
「それは自己成就予言となってしまう。
各国は、戦争は避けられないと思い込めば、
軍を増強し、果てしない軍拡競争に乗り出し、
どんな争いにおいても譲歩を拒み、
善意の意思表示は罠にすぎないのではないかと疑う」
そうなれば、戦争の勃発は確実になる。
さらにその一方で、
「戦争は不可能だと決めつけるのは考えが甘い」
「たとえ戦争はどの国にとっても
壊滅的な結果をもたらすとしても、
人間の愚かさから
私たちを守ってくれる神もいなければ、
自然の法則もない」
では、どうするか。
「人間の愚かさの
治療薬となりうるものの一つが
謙虚さだろう」
「国家や宗教や文化の間の緊張は、
誇大な感情によって悪化する」
「すなわち、
私の国、私の宗教、私の文化は
世界で最も重要だ、
だから私の権益は他の誰の権益よりも、
人類全体の権益よりも
優先されるべきである、
という思いだ」
ドナルド・トランプのことを言っている。
「哲学も宗教も科学も、
揃って時間切れになりつつある」
「あと数年、あるいは十数年は、
私たちにはまだ選択の余地は残されている」
「努力をすれば、私たちは
自分が本当は何者なのかを、
依然としてじっくり吟味することができる」
「だがこの機会を活用したければ、
いますぐそうするしかないのだ」
だから私は今、書いている。
今日は自宅の自室。
一歩も外に出ていない。
オフィスに行き来する時間すら、
もったいないと思う。
追い詰められている。
しかしその挙句に、
自分にはこれしかできない、と、
開き直って、やっと仕事は進む。
もっとできる。
もっとやりたい。
しかしバランスシートのように、
いまこの時点ではここまでだと、
諦念に近いものができてはじめて、
やっと一定の結論に区切りがつけられるのだ。
完全に満足はできなくとも、
ここまではできた。
欲深い人間は、
その諦めがつかず、
結論を見出せない。
私も相当、欲深い。
だから決着が付けられない。
それでも結論を急ごう。
ハラリは言う。
「哲学者というのは恐ろしく辛抱強いものだが、
それに比べると技術者はずっと気が短く、
投資家はいちばん性急だ」
投資家ほどではないにしても、
技術者レベルのスピードで、
結論を出さねばならない。
いや今の私は投資家の段階か。
だから哲学者や歴史家にあこがれる。
〈結城義晴〉