月曜日に帰国してから1週間目の日曜日。
ご迷惑をかけたり、
ご心配をかけたり。
しかし一度はCOVID-19にも、
かかっておいた方がいいかとも思っていた。
このブログにも2020年5月に書いた。
45年前に私は「ソ連風邪」にかかった。
それ以来、
重篤な感染症にはかかっていない。
50年くらいに一度、
こういった感染症が流行るのか。
「風邪は万病のもと」
しかし最近の私は、
風邪にもかからなかった。
正式には「風邪症候群」と言われる。
「上気道」の急性炎症の総称。
上気道は鼻やのどのこと。
耳鼻咽喉科の担当だ。
風邪のウイルスが粘膜から感染して、
炎症を起こす。
くしゃみ、鼻水、鼻づまり、のどの痛み、
咳、たん、発熱といった症状が起こる。
その風邪ウイルスは、
200種類以上もある。
一方、「インフルエンザ」は、
風邪ウイルスとは別のものだ。
つまり別の病気だ。
インフルエンザには、
3類型がある。
「A型インフルエンザ」は、
ヒト、鳥類、ウマ、ブタなどに感染し、
強烈な症状が出る。
問題になるのはみなA型である。
「B型インフルエンザ」は、
ヒトとアシカ亜目のみに感染し、
毎年流行している。
A型のように、大きな流行は起こさない。
そして「C型インフルエンザ」は、
ヒトとブタに感染し、
いったん免疫を獲得すると、
終生その免疫が持続する。
問題のA型インフルエンザは、
6つの「大流行」があった。
①1900年のH3N8(旧香港風邪)、
②1918年のH1N1(スペイン風邪)、
③1957年のH2N2(アジア風邪)
④1968年のH3N2(香港風邪)、
⑤1977年のH1N1(ソ連風邪)、
⑥2009年のH1N1(豚由来新型インフルエンザ)
いずれも一般には「風邪」と呼ばれた。
しかしいずれも「インフルエンザ」だった。
45年前の20代中ごろ、
私はそのインフルエンザの、
「ソ連風邪」にかかった。
1977年4月に㈱商業界に入社して、
翌年のことだった。
3日から4日ほど、
38度から39度の熱が出て、
会社を休んだ。
とにかく汗が出た。
ソ連風邪は、
1977年から1978年にかけて、
当時のソビエト連邦で流行した。
インフルエンザのエピデミックだった。
パンデミックが「世界的流行」で、
エピデミックは「局地流行」。
ソ連で局地流行したから「ソ連風邪」。
しかしもともとは、
1977年5月に中国・天津で始まった。
インフルエンザはなぜか、
中国から発する事例が多い。
その年の11月、ソ連と香港で、
インフルエンザが大流行した。
そして1978年3月までに、
北半球のほとんどの国の人々が感染した。
日本も襲われた。
しかし1978年から1979年にかけて、
ワクチンが製造された。
幸いに私はまだ20代だったし、
長期化もせず、重篤化もしなかった。
すぐに復帰して元気に仕事した。
風邪ともインフルエンザとも違うのが、
コロナウイルスである。
だから私はいずれの体験もしたことになる。
それももう少し。
食事で一番好きなのがオジヤ。
今回はとくに右下の喉が痛い。
水を飲むときにも喉が痛い。
だからご飯を軟らかく煮て、
味付けしてもらうと喉を通りやすい。
蟹のオジヤはいい。
青物など添えられていると、
ゆっくり噛み砕いてから喉を通す。
それもいい。
最後に水を飲んで、
コロナ仕様の薬を飲む。
それでも少しずつしか治らない。
これを5日間繰り返してきた。
立って歩くとふらふらする。
これはいけない。
夕方、外に出て、
散歩することにした。
散歩と言っても、
そこらを歩くのではつまらない。
車に乗って横浜港に行った。
15分くらい。
みなとみらいを通り越して、
大桟橋。
出かけるときにはまだ明るかったが、
大桟橋に着くと陽が沈んでいた。
豪華客船が発着する大きな桟橋。
ここから海外航路に出発する。
船の看板のような構造になっていて、
そこが遊歩道と公園になっている。
1階の駐車場に車を止める。
そして板張りのスロープを、
ゆっくりと登ってゆく。
大桟橋の甲板に上がる。
横浜の街が見える。
King Queen Jack。
それぞれに建物が示されている。
左手を振り返るとみなとみらい。
潮風を胸いっぱいに吸い込む。
生き返った気分だ。
手前が赤レンガ倉庫群。
奥にランドマークタワーも見える。
デッキに上がって、
くまなく歩く。
やはり散策する人影。
横浜で最も好きなスポットの一つだ。
山下公園や港の見える丘公園よりも、
気に入っている。
このデッキをゆっくりと歩き回って、
完全復活の気分になってきた。
まだほんのちょっとだけ喉が痛いけれど、
もう大丈夫。
もう、Go! Go!ポーズはやらないけれど。
ご心配、おかけしました。
復活します。
〈結城義晴〉