今日はホームコースをラウンド。
ニューヨークからの帰国後、
エクササイズが不足していた。
ありがたいことにゴルフ日和。
冬なのに暖かい日。
美しい18番ホール。
こんな日にいつも思い出す。
大学時代の仲間の鈴木順子の詩。
冬なのに
春みたいに
あたたかい日には
動物園に行ってみて
ゾウの前などすわりこんで
パンでもかじりたくなるのです
冬なのに
春みたいに
あたたかい日には
ゆくさき不明の汽車にのり
荷物のようにがたごとと
はこばれてゆきたいと思うのです
冬なのに
春みたいに
あたたかい日には
冬なのに
春みたいに
あたたかい日には
世界の平和のために
戦争をなくすために生きてゆこうと
心の底から思うのです
冬なのに
春みたいに
あたたかい日には
ネコと見つめあって
愛をたしかめあうことだって
できるのです
冬なのに
春みたいに
あたたかい日には
冬なのに
春みたいに
あたたかい日には
夕方から横浜駅西口そばの青木鮮魚店で、
中学高校時代の友人たちと新年会。
私は6年間、中高一貫教育の学校に通った。
横浜の聖光学院。
その高1時代に同人誌に参加した。
先輩から受け継がれてきた「孼」。
「ひこばえ」と読む。
同人誌の「誌」と名乗ってはいたが、
印刷して発刊したわけではない。
コクヨの400字詰め原稿用紙に、
それぞれが作品を清書する。
詩だったり、小説だったり、
エッセイだったり、評論だったり。
その原稿を世話役の関孝和君が、
装丁して、分厚い一冊に製本する。
出来上がった手づくりの文学誌を、
順番に手渡しして、
回し読む。
みんなが読み終わったら、
それとなく感想を述べあったりする。
合評会のようなことはしなかった。
ある意味では書きっ放し、つくりっ放し。
それでも何度もつくった。
私は自発的に文章を書くことを、
この孼で初めて体験した。
有難いことだった。
それ以来、何らかの形で、
自分の考えを表現するようになった。
卒業してからも、
その7人の仲間は毎年、
新年会に集まった。
それから53年。
全員が年男の辰年、
一人だけ巳年の早生まれ。
みんな71歳。
コロナ禍で5年ぶりの開催。
全員が一人も欠けずに元気なのは、
きわめて珍しいことだ。
全員が近況を語って、
酒を飲み、会話を堪能した。
みんなが自分なりに生きていることは、
ほんとうにうれしかった。
糸井重里のほぼ日の巻頭言。
毎日書くエッセイのようなもの。
1月21日の「今日のダーリン」
「老い」を考える。
「年齢の数字はともかくとして、
誕生から死までのプロセスのなかに、
じんわりと”老い”のグラデーションがあるのを
じぶんの年齢とともに
意識しないわけにはいかなくなる」
同感だ。
「”人間はかならず死ぬ”
なんて絶対的な真理も、
むろん常識として知ってはいたけれど、
あ、ほんとなんだと
思わざるをえなくなっている。
だって、ほんとに知ってる人が
死んでいくんだもの」
去年は同年配の人が、
多く亡くなった。
ここで糸井の述懐。
「正直に言うが
“老いというものの表れ”について、
観察したり考察したりするのは、
なかなかおもしろいのだ」
自己客観化である。
「このごろ思っている”老いの表れ”は、
ファッション離れ」
「いろいろの不自由があって
外に出なくなっている人が、
新しい服を着ようとしたり
買ったりしなくなるのは、なんだか
自然なことのようにも思われているが、
それは、じぶんにも他人にも
愛想がなさすぎる」
「ぼくは思ったね、
“明日死ぬとしても新しい服を買おう”と」
そうか。
「外出できなくても、
街着を買ったり家のなかで着る。
これは、身体がよく動く
いまのうちにルール化しておく」
「流行りに興味がなくなるというのは、
“俗物失格”だからね」
糸井は老いても俗物であろうとする。
老子や吉田兼好とは異なるけれど、
共感するものがある。
〈結城義晴〉