雪は去っていった。
日の当たらない街角に、
黒茶の雪の小さな塊が残るけれど。
月刊商人舎2月号は遅れている。
責了のための最後の詰めとなった。
今回のテーマに対して、
ピーター・ドラッカーを避けては通れない。
そこで見つけたことがある。
代表作の『マネジメント』と、
普及版の『エッセンシャル版マネジメント』
故上田惇生先生は、
最初の仕事として、
経団連の翻訳チームに加わった。
そして一番の若手ながら、
翻訳作業の中で頭角を現していった。
故野田一夫先生の監訳だった。
すべての仕事が終わってから、
上田惇生はドラッカーに手紙を書いた。
英文のファックスだった。
「ドラッカーさん、
私たちはあなたの『Management』を、
日本語に訳しました。
とてもいい本となりました。
しかし率直に言えば長すぎると思います。
私はその全文を3分の1ほどに短くしました」
「以下がそれですが、
いかがでしょうか」
それが『抄訳マネジメント』になった。
昭和50年(1975年)のことだ。
私が最初に手に取ったドラッカーは、
この『抄訳』だった。
さらにそれが2001年12月に、
『エッセンシャル版』となった。
最初に発刊された『マネジメント』、
赤本と称される2008年発刊の『マネジメント』
1950年の『抄訳』
2001年の『エッセンシャル版』
今回、キラーフレーズは、
初版本と赤本から見つかった。
しかしキラーフレーズが、
光っていたのは、
実は赤本のほうだ。
上田惇生の最後の傑作は、
赤本なのだ。
それが2月号のMessageに出ることになる。
1日中、オフィスにいたら、
「セルコレポート」が送られてきた。
私の連載は第22回となる。
「艱難は商人を鍛える」
今回のテーマは、
「学習する組織と苦学する商人」
ご愛読をお願いしたい。
さて日経新聞電子版。
編集委員の田中陽さんが書く。
「窮地のイトーヨーカ堂
再出発の『カギ』にぎる創業家」
田中陽さんから、
メッセンジャーでメールが入っていた。
だからすぐに読んだ。
皆さんもスマホやパソコンで見てください。
「ヨーカ堂とセブン&アイHDの
距離感は広がりつつある」
その通り。
祖業は捨てられつつある。
「イトーヨーカ堂の希望退職の募集と
本社移転の計画が明らかになった」
「当然、ヨーカ堂の従業員は動揺している」
23年7月に開かれた伊藤雅俊さんの「お別れの会」
鈴木敏文さんが弔辞を読んだ。
「あなたが生み出した事業を通じて
育まれた商売の遺伝子は、
これからも新たな器に出会い、
広がっていくことでしょう」
私も雑誌で紹介したし、
このブログでも引用した。
田中さんは、
伊藤雅俊の遺伝子を受け継ぐ人たちに、
スポットを当てる。
「伊藤雅俊氏は『お客様に学ぶ』姿勢を貫いた。
小売業の活力はやはり新規出店であり、
現場である売場を磨きあげることだ」
「経費削減やリストラ思考では組織が持たない」
その通りだ。
「創業家よ、火中の栗を拾うべく、
天の岩戸から出てきてもいいのではないか」
田中さんの主張はわかる。
ただし、創業家の人々の出方は、
現場の陣頭に立つ形ではないと思う。
私はずっと言い続けている。
ファウンダーの立場を鮮明にするのがいい。
ウォルトン家のロブソン・ウォルトンの立ち位置だ。
そして「業革のDNA」を受け継ぐ人間が、
経営トップに立つのがいいだろう。
つまり伊藤雅俊と鈴木敏文の関係の再現である。
しかしその人間はだれか。
どう引っ張ってくるか。
それは言えない。
イトーヨーカ堂は非上場企業として、
1店1店が現場力をもった繁盛店を目指せ。
このメッセージは昨年4月の月刊商人舎に書いた。
理想的には業革の再現だが、
それができないなら、
繁盛店づくりだけでも実現させたい。
そしてその可能性は少なくない。
動きもある。
楽しみだ。
待っているぞ。
〈結城義晴〉