Everyone, Good Monday!
[2024vol⑧]
2024年第8週。
2月第4週。
第2週、第3週は、
ニューヨークにいた。
午前中に東京・入船の日本食糧新聞社へ。
緊急のミーティング。
商人舎オフィスに戻って、
オンライン会議。
万代知識商人大学第9期の打ち合わせ。
3人の人事部マネジャー。
左から津田陸さん、石川慎也さん、
8期生だった海野正敏さん。
学習する組織をつくりましょう。
さて突然の訃報。
矢野博丈さんが亡くなった。
謹んで哀悼の意を表したい。
2月12日、東広島市のご自宅で、
急に胸が苦しくなって、
そのままご逝去。
心不全とのこと。
80歳。
惜しい。
まだまだ若い。
元気でいてほしかった。
創業は1972年。
家庭用品の移動販売から始まった。
1977年には商売を法人化して、
㈱大創産業をつくった。
私が㈱商業界に入社した年だ。
その数年後だと思う。
毎年開催された箱根の2月ゼミナールに、
矢野さんが参加してきた。
夜、故人となった渥美俊一先生の部屋に、
多くの受講生が個人相談に来る。
私はいつも、
そのわきで話を聞いていた。
矢野さんと渥美先生とのやり取り。
広島弁で渥美先生に質問する矢野さん。
真剣に答える渥美先生。
ちぐはぐな印象を受けたけれど、
矢野さんは何か確信をつかもうとしていた。
渥美先生はペガサスクラブに入れようとするが、
矢野さんはそれをはぐらかすように、
シンプルな質問を続ける。
ふつうは渥美先生が、
怒鳴って終わる。
しかしそれがなかった。
人を食ったような商人ながら、
渥美先生も何かを感じたようだった。
矢野さんは商品開発について、
いろいろと聞いていたと思う。
その後、ダイソーは躍進し始める。
まさしくチェーンストアをつくり上げる。
私は商人舎発足の会で、
矢野さんに発起人になっていただいた。
矢野さんはいつも、
自分の商売を貶めるような言い方をした。
謙譲の美徳だと思っていた。
だから私は言った。
「矢野さんのダイソーは、
フランク・ウールワースがつくった、
ワンコインストアを起源としていて、
由緒ある商売です」
「百貨店やグロサリーストアに次ぐ、
史上第三番目の業態です」
「ウォルマートのサム・ウォルトンも、
矢野さんと同じ商売から初めて、
今、世界一の企業になりました」
矢野博丈さんは言った。
「20世紀は、
勝つか負けるかの時代だった。
21世紀は、
死ぬか生きるかの時代だ」
これは私、書き留めた。
いい認識だと思った。
Change! Or Die!
しかしこうも言った。
「20世紀は強欲で金持ちで、
大きい企業が勝つ時代だった。
21世紀は徳のない企業はダメだ」
矢野さんは照れながら、
幸田露伴の「運」の話をした。
明治時代の貧しい一家。
母が兄弟に着物を縫ってやる。
兄はその新しい着物を着て、
喜び勇んで遊びに出かける。
弟は感謝しつつ、
新しい着物を箪笥に仕舞って、
古い着物を着たまま、
母に何か手伝いをしようか、
と問う。
母は無邪気な兄がかわいい。
しかし露伴は考える。
福の神様は弟に運をもたらす。
矢野さんは露伴に共感する。
「21世紀は徳の時代。
徳が運をもたらす」
これが矢野博丈の本当の考えだった。
矢野靖二現社長が、
跡を継いで立派に経営している。
昨年の月刊商人舎9月号で、
ダイソーの特集をした。
商業界時代を通じて、
はじめて実現した特集だった。
私はこの特集をつくっておいて、
良かったと思った。
同時に日本標準産業分類にはじめて、
「ワンプライスショップ」が戸籍を得た。
これこそ矢野博丈の社会的功績である。
実に立派な功績である。
そしてこの業態の確立は、
「徳」によってもたらされた「運」が、
切り開いたものだと思う。
矢野さん自らは、
その「徳」をひけらかすことを、
ひどく恥ずかしがって、
奇異な行動に出ていたけれど。
心から、ご冥福を祈りたい。
では、皆さん、今週は、
ひけらかさない徳を。
合掌して、
Good Monday!
〈結城義晴〉