「転んではいけませんよ!」
黒田先生も80歳台になって、
転んで大腿骨折となった。
それによってその後の生活が、
大きく制限された。
その反省から、
71歳の結城義晴に、
何度もなんども注意を促してくださった。
それなのに転んでしまった。
前のめりに倒れて、
両手両膝がコンクリートにぶつかった。
とくに右膝をひどく打って、
膝頭を擦りむいた。
そこにバンドエイドでカバーして、
その上から温湿布を貼った。
膝頭にヒビが入っているか、
骨折しているか。
多分、大丈夫だと思うけれど、
湿布を貼って養生している。
月曜日になったら、
医者に行ってみようかと考えている。
大腿骨折のようなことはない。
不幸中の幸いか。
人間万事塞翁が馬。
人間は何事も、
悪く見えることが起こっても、
それが良いことにつながり、
また良く見えること起こっても、
それが悪いことにつながっていく。
変転きわまりない。
悪いことが起こっても、
がっかりすることもない。
良いことが起こっても、
調子に乗ってはいけない。
悪いことが原因となって、
良いことが起こり、
その良いことが理由となって、
また悪いことが起こる。
中国の「淮南子―人間訓」の故事。
北の国境に住む老人・塞翁。
飼っていた馬が胡の国へ逃げてしまった。
塞翁はそれを幸運の訪れと予言した。
その馬はのちに、
胡国からりっぱな馬を連れて帰ってきた。
しかし塞翁はこれを不運の兆しだと言った。
その後、塞翁の子がその馬から落ちて、
足の骨を折ってしまう。
しかし今度は息子が、
その怪我のために、
戦争に行かずに済んでしまった。
亡くなった青島幸男さんが1981年に、
『人間万事塞翁が丙午』という小説を書いている。
処女作にして自伝小説、
それが第85回直木賞を受賞した。
青島次郎さんと青島ハナさん。
東京・日本橋堀留町の弁当屋さん。
それが青島幸男さんの両親と実家。
その物語。
面白い。
振り返ってみると私の人生も、
ささやかながらそんな「塞翁が馬」だった。
誰の人生も「塞翁が馬」に違いない。
そして仕事も商売も、
人間万事塞翁が馬となる。
ほぼ日の糸井重里。
毎日書くエッセイ「今日のダーリン」
クイズ。
「東京には上り坂と下り坂と、どっちが多い?」
ヤマカンで答えを言うと、だいたいハズレ。
「残念でした。上り坂も下り坂も同じ数です」
そこで、笑いで終わる。
糸井さんは理屈っぽく考える。
「上ったら下らなきゃならないから、
だいたい同じ数か、と」
そしてその後、ずいぶん時間が経ってから、
やっと理解した。
「上り坂は、上る人から見える坂で、
下り坂は、下る人から見える坂」
なんだということを。
「行き止まりのある上り坂も、
上にいる人には下り坂なのね。
こっちから見ての右が、
向こうから見た左みたいなものだ」
この考え方は役に立つ。
「“あっち側から見たら”ということを、
なるべく早く想像したほうが、
考えが鍛えられるんです」
これは本当に正しい。
文章を書く時のコツの一つ。
ある一文を書く。
「これはこうだ」
そのあとで、
「逆に見るとこれはこうだ」と書く
すると考察が深まる。
糸井さん。
「いろんなことについて
“入口の数と出口の数は同じ“と
思っていれば、
“入口は別の時間に出口としても使える”
と考えられることになるでしょう」
そこでたとえ話。
「予防注射だって、
“痛いからいやだ”と思う人は多いけど、
そんな嫌がられる注射をするお医者さんだって、
うれしくて痛がらせているわけじゃないんですよね」
アナロジーだ。
「嫌なやつも、嫌なやつから見たら、
こっちが嫌なやつとか」
その通り。
「それをわかっていながらものを考えるというのも、
“上り坂と下り坂クイズ”のおかげだったんですよね」
人間万事塞翁が馬も、
上り坂と下り坂。
転んだ結城義晴には、
何かいいことが起こるかもしれない。
これで養生するのは、
多分、良いことなんだ。
ありがとう。
〈結城義晴〉