5月1日。
2024年に入って、
3分の1の時間が過ぎた。
毎日毎日、欠かさず仕事をし、
生活をしてきた。
大仕事をやり遂げていなければならないが、
それが進捗していない。
単行本『チェーンストア』後編の執筆だ。
読者の皆さんはもとより、
編集者やデザイナー、印刷所など、
待たせっぱなしだ。
本当に申し訳ない。
発刊は大幅に遅れます。
しかし強いプレッシャーの中で、
頭はいつも単行本のことで埋まっている。
月刊誌の原稿を書いていても、
それは単行本につながる。
実際に今年に入ってから、
ここまで5冊の雑誌をつくったが、
単行本に使うべき新たな内容が、
次々に浮かんできた。
論理が深まってきた。
貴重な熟成の期間となった。
風邪が完治しないまま、
今は月刊商人舎5月号に集中する。
頑張ります。
今日は5月1日。
連休の合間の、
メーデーの日。
国際労働者の日。
今日はあいにくの雨。
それでもデモや集会をやったのだろう。
雨降らば降れメーデーの旗滲(にじ)む
〈原田種茅〉
20代、30代の前半までは、
私も商業界労働組合の組合員だった。
だから必ずメーデーに参加した。
一方、管理職になると、
会社に残って仕事をした。
商業界はユニオンショップ制をとっていた。
つまり社員は全員が組合に入るというルール。
だからメーデーの日には組合員は全員、
会社に来ない。
メーデーに参加する人も、
参加せずに勝手に有給休暇にする人も、
どちらも仕事を放棄した。
管理職が会社や仕事を守った。
ガランとした会社で、
編集長や部長だけが仕事をしている。
「静かでいい」などと言う人もいた。
首相はあたかも自分が、
賃上げを先導したかのように、
薄笑いを浮かべつつ発言したのだろう。
今日の5月1日は、
全労連系が集会を開き、デモをする。
かつては二大労働組合連合体があった。
総評(日本労働組合総評議会)と、
同盟(全日本労働総同盟)。
総評が日本社会党を支持し、
同盟が民社党を押した。
それが1989年に合併して、
連合(日本労働組合総連合会)を結成した。
世界最大の労働組合だ。
現在のUAゼンセンも連合傘下である。
それとともに社会党も民社党も衰退した。
代わって民主党が連合と組んで、
政権交代を果たした。
一方、連合を「右傾化」と批判して、
左派の組合によって結成したのが、
全労連(全国労働組合総連合)だ。
日本共産党との関係が深い。
これら総評や同盟、のちの連合や全労連を、
「ナショナルセンター」と呼ぶ。
全国組織である。
現在は連合も全労連もよろしくない、
という団体がある。
全労協(全国労働組合連絡協議会)である。
それぞれに全国でメーデーを開催する。
総身(そうしん)の雨にひたぬれメーデー歌
〈瀧尻佳子〉
全身びっしょり濡れながら、
メーデー歌を声を限りに歌う。
そのメーデー歌。
しかしこのメーデー歌は、
旧日本軍歌「歩兵の本領」の替え歌だ。
花は隅田に嵐吹く
大和男子(やまとおのこ)と生まれなば
散兵線(さんぺいせん)の花と散れ♪
同じ旋律に乗って、
高らかに歌われる。
一度、深く考えてみる必要がある。
いい句はいい。
メーデーの列とはなつてをらざりし
〈稲畑汀子〉
見たまんまが滑稽。
さすが高濱虚子の孫、
汀子の真骨頂。
メーデーに参加して、
いつも最後はこうなる。
メーデーの遂に一人の家路にて
〈伊丹丈蘭〉
人が集まって何かをする。
それは結局、それぞれの人に、
孤独を自覚させることになる。
私たちはその孤独に耐えねばならない。
人間は一人で生まれて、
一人で死んでいく。
さて、商人舎流通SuperNews。
イズミnews|
システム復旧で5/1からECやアプリ利用再開
㈱イズミのシステム障害。
2月15日に発生したランサムウェア被害が原因だ。
ランサムウェアとは悪意のあるソフトウェア。
ファイルをロックして身代金を要求するために保持する。
イズミはこのランサムウェアの被害に遭った。
メールシステムを含む各種システムの使用を停止し、
連絡手段は電話・FAX・郵送となった。
専門家に依頼して、
イズミらしく丹念に対処した。
その結果、予告通り5月1日に完全復旧した。
決算発表も遅れた。
「組織変更および人事異動」は、
実施日を3月1日付から5月16日付に変更した。
また3⽉7⽇に予定していた新店、
「ゆめマート新⼤村」開業は、
延期された。
何はともあれ、経営者、関係者、
ホッと一息といったところだ。
2024年2月期業績に及ぼす影響は、
軽微であると見込まれている。
私も専門ではない。
ランサムウェアを、
100%防御することは難しいらしい。
企業が取るべき重要度の高い措置は、
データをバックアップすることだ。
万が一、感染した場合にも、
バックアップに切り替えて、
身代金を払わなくても済む。
なんにしても、
イズミの皆さん、
お疲れ様でした。
〈結城義晴〉