憲法記念日。
ゴールデンウィーク後半の4連休。
日々の商売となれば、
2連休は毎週末に必ずあるから、
対処法や成果も「ルーチン」となっている。
3連休は2連休にもう一つ加わるから、
特別のストーリーをつくって、
そのうえで具体的な作戦を立てて、
3日間通しの成果を最大化する。
さて4連休となると、
どう組み立てるか。
ここは知恵の出しどころだ。
客数も多いだろうし、
予期せぬ出来事も起こるだろう。
みんなが気分よく仕事できるように、
それぞれに気を配りつつ、
店を守りたい。
昔々、倉本長治先生が、
徳島のキョーエイに贈った言葉。
「市民生活を守る砦たれ」
連休のときにも、
生活を守る砦でありたい。
さて日本国憲法。
お薦めしている。
篠田英朗著『はじめての憲法』
この憲法の特徴は、
「第2章 戦争の放棄」である。
とくにその「第九条」。
一項。
「日本国民は、
正義と秩序を基調とする
国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する」
二項。
「前項の目的を達成するため、
陸海空軍その他の戦力は
これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない」
国際政治学者の篠田英朗さん。
神奈川県出身の56歳。
東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。
大学院生時代に国連PKOボランティアに参加。
さらにアジアやアフリカの紛争地域で、
ボランティア活動に従事した。
『平和構築と法の支配』で大佛次郎論壇賞、
『「国家主権」という思想』でサントリー学芸賞、
『集団的自衛権の思想史』で読売・吉野作造賞を、
それぞれ受賞している。
元大阪市長の橋下徹との論争は痛快だった。
完全に論破した。
その篠田さん。
第九条に以下の文面を加えて、
その部分の改憲をすればいい、
と主張する。
去年もそれを紹介した。
三項。
「前二項の規定は、
本条の目的にそった
軍隊を含む組織の活動を
禁止しない」
篠田さんに賛成している。
憲法九条の本来の趣旨は、
「国際法遵守」である。
九条はそれを宣言したものだ。
二項の「戦力(war potential)」は、
一項の「戦争(war)」と「放棄」に対応して使われている。
つまりここで言われるのは、
「戦争のための戦力」である。
自衛隊は自衛する組織だから、
戦争のための戦力に該当しない。
二項の「交戦権」とは、
戦時中の大日本帝国が国際法を蹂躙した事実に対して、
日本国憲法はそれをしないことを誓った規定である。
憲法九条は「国際法遵守」を宣言しているのだから、
それ以上に制約を課してはいない。
「戦争の放棄」を、
「原理」と主張するひとたちがいる。
「戦争」は絶対にいけないものだから、
それを「原理」ととらえる考え方は、
わかりやすいかもしれない。
しかし「戦争の放棄」は「目的」である。
「軍隊を含む組織の活動を
禁止しない」
これを第三項として加えるだけで、
「自衛隊」という組織が正当化される。
自衛隊という言葉を使わずに、
それが憲法に記される。
篠田英朗、
頭、いい。
いまさら自衛隊の存在を否定することはできない。
それを「軍隊」に変える必要はない。
しかし自衛隊は、
誰が見ても異論や疑念がわかないように、
憲法の中に位置づけられねばならない。
今の自衛隊の位置づけは、
ごまかしだ。
朝日新聞「折々のことば」
第3073回。
知的であるためには
ある種の無防備さが必要だ
(内田樹)
「無知とは知識の欠如でなく、
ジャンクな情報で頭がぎっしり詰まっていて
新しい情報の入力ができない状態のことだ」
なるほど。
「これに対し、学びとは、
入力があるたびにそれを容(い)れる器そのものの
形状や容積が変化してゆくこと」
ジャンクな憲法情報に毒されていると、
新しい概念が頭に入ってこない。
がちがちの改憲論者も、
原理主義の護憲論者も、
新しい状況が生まれ、
新しい情報や新しい考え方がでてきたら、
それを受け入れる柔軟な器をもつ必要があると思う。
憲法に限らない。
チェーンストア理論でも、
原理や原則を補助線として使え。
ドラッカーのポストモダンの方法である。
〈結城義晴〉