7月の三連休初日。
ひこばえの会。
漢字では「孼」と書く。
高校時代の文学同人誌。
15歳のときからの仲間だから、
もう60年の付き合いだ。
残った7人。
今年の正月にみんなで会って、
四半期ごとに参集することにした。
4月の桜の時期に会を開催し、
今また7月の梅雨の中で集まった。
今回は2人が欠席。
横浜伊勢佐木町の万㐂多。
最初から清酒の「浦霞」を飲む者、
ノンアルコールビールの者、
生ビールと純米酒を飲む者、
私は生ビールを飲んで、
そのあとはみんなと一緒に焼酎「吉四六」。
酒の趣味もそれぞれだ。
店の名物はヌタ。
そのほかにも、
きんぴらごぼうや煮物など、
家庭料理が旨い。
そして銀鱈の煮つけ。
今回は中学高校時代の先生の話で盛り上がった。
それぞれに憶えている先生が異なる。
しかし各自が憶えている先生のことを話すと、
みんなが思い出す。
関孝和君と富澤弘文君は、
先生になった。
それから部活の話、
仮装行列の話、
文化祭の話などなど。
同人誌のリーダーで、
世話役をしていたのが関君。
今もこの集まりの世話を焼いてくれる。
その関君がお土産を持ってきてくれた。
それがお手製の線香花火。
関君は今も、
青少年センターなどに子どもたちを集めて、
線香花火の原理や作り方を教えたりしている。
理科の先生だ。
若手の先生などを巻き込んで、
プロデューサーの役割を任じている。
ここでも世話人なのだ。
すると黒色火薬が出てくる。
硝石と硫黄と炭素を混ぜて、
自分で調合している。
最後に教えてくれた。
「斜め45度にして点火すると、
一番長く楽しめる」
全員が「へーっ」と唸った。
みんな知らなかった。
そんなこともして、
3時間も盛り上がった。
素朴だけれど絶品。
次は10月。
楽しみだ。
元野澤屋百貨店。
ずいぶん寂しくなってしまったけれど。
今は伝統の店が減って、
チェーン店がずらりと並ぶ。
それでも伊勢佐木町の雰囲気は、
消えてしまうことはない。
日経新聞の「スポートピア」
田中賢介さん(43歳)が書く。
北海道日本ハムファイターズスペシャルアドバイザー。
1981年、福岡生まれ。
東福岡高等学校からドラフト2位で、
日本ハムファイターズ入団。
12年間、ファイターズの主力を務め、
2013年、サンフランシスコジャイアンツへ。
2015年、ファイターズに復帰して、
2019年、引退。
「いい指導者の共通点」
「多くの指導者と出会った私からみた、
いい指導者の共通点は、
①「1」を教えられる
②愛がある――である」
ズバリと言い切る。
①は例えば1000の技術を持つコーチがいるとする。
その教え子が500の技術を習得できていない場合、
500すべてを教えると選手は訳が分からなくなる。
そこが指導者の腕の見せどころで、
1000の技術のうち
根幹となる「1」を教える。
「あらゆる技術につながるその1を教えれば、
残りの499は自分で見つけにいける。
その1を教えられるのが有能な指導者だ」
「これは簡単そうで難しい」
「人それぞれ1が違うので、
コーチは1000の技術を
2000、3000と増やしていかないと
選手個々に合った1を見つけられない」
これは凄いことだ。
②は「単に技術を教えてくれた指導者」ではなく、
「愛情を持って接してくれた指導者」である。
「心底、”選手にうまくなってほしい”という
無償の愛があるかどうか」
「それがある人とない人は
子供心にも見分けがついた」
「今とは時代が違ったので
指導者に殴られたこともあるが、
気分で殴っているのか、
本当に私のことを思って殴っているのかは
明確に分かったものだ」
田中はいい指導者になるだろう。
「子供たちは指導者を選べない」
そう、生徒たちは先生を選べない。
自分の中学高校時代を思い出しても、
それはわかる。
「だからこそ単なる技術屋ではなく、
愛があり、大切な『1』を教えられる教育者が
増えることが子供たちの将来につながる」
私の仲間の関君の線香花火は、
その「1」なのだろう。
富澤君も今、
横浜のオーケストラの世話人をしている。
二人とも愛のある先生だ。
うれしくなる。
〈結城義晴〉