台風一過。
そしてフェーン現象。
暑さはつのる。
体に堪える。
2024年の盆が明け、
夏の大型連休も終わりに差し掛かる。
Paris2024が終わり、
日本中の注目は夏の甲子園大会へ。
第106回全国高校野球選手権大会。
ナショナリズムから、
ローカリズムへ。
3回戦が終わって、
ベスト8が残った。
外は暑いので終日、家にいた。
その甲子園大会3回戦。
全部見たわけではないが第4戦。
早稲田実業高校(西東京)対大社高校(島根)戦。
凄いゲームで延長11回、
大社がサヨナラ勝ちを収めた。
2対3。
伝統校による名勝負。
甲子園球場には2万2000人の大観衆。
沸きに沸いた。
しかし大勢は県立高校の大社寄り。
NHKテレビのアナウンサーも、
完全に大社の応援に回った。
大社が1回裏に1点を先取。
5番の左翼手下条心之介の、
見事なライト前のタイムリーヒットだった。
早実は何度もチャンスをつかんだが、
決定打が出ない。
それでも6回表にヒットを連ねて同点にする。
さらに7回表、センター前のゴロのヒットを、
中堅手が後逸してボールは、
転々とバックスタンドまで転がった。
打者はダイヤモンドを一周して、
ホームイン。
早実が1点をリードして、
そのままゲームは終わるかと思われた。
しかし2対1で迎えた9回裏。
早実は守備の乱れで同点に追いつかれて、
なおも1死二、三塁。
一打サヨナラのピンチ。
スクイズバントでも終わる。
ここで早実の和泉実監督が奇手を放った。
左翼手を守備要員に替えたうえで、
投手の横に配置して、
スクイズバントに備えた。
外野手を1人減らす極端な変則シフトだ。
案の定、打者の打球は、
その投手の横にいた左翼手の正面を突いて、
ダブルプレー。
延長のタイブレークに持ち込まれた。
ここまで来ると、
早実が有利に見えた。
タイブレークのやり方は、
ノーアウトでランナー1塁・2塁から始まる。
10回・11回と早実は、
このチャンスをつぶした。
ここにも手に汗握るドラマがあった。
しかし11回表のタイブレークのときに、
監督は3番の遊撃手・高崎亘弘に強攻を命じた。
バントで1アウト2塁・3塁にして、
スクイズや外野フライで、
確実に1点を獲るのが定石。
それをやらなかった。
定石破りの変則作戦は、
二度は続かない。
失敗して、ダブルプレー。
大社も10回のタイブレークは、
早実の堅い守りでチャンスを逃した。
そして11回裏。
早実の守備の乱れで、
ノーアウト満塁となった。
打者はエースで4番の馬庭優太(3年)。
馬庭はサヨナラタイムリーヒットを打って、
ゲームは終わった。
大社高校はこの夏の大会の第1回の、
地方大会から皆勤出場している。
夏の甲子園大会には32年ぶりの出場。
今大会1回戦では、
春の選抜大会準優勝の報徳学園を破った。
さらに107年ぶりに2つの勝利をおさめ、
そのうえで早実を破って3勝目を挙げた。
夏の全国選手権大会3勝は初の快挙だった。
それが93年ぶりの8強入りになった。
初物尽くし。
NHKのアナウンサーは、
自ら興奮状態となって、
完全に大社寄りの実況中継をした。
伝統校とはいえ、
大社高校は甲子園では無名だった。
雑草とは言わないけれど。
それがひまわりのような早実を破った。
多くの人々の共感を呼んだ。
昨年の夏の甲子園では、
神奈川の慶応高校が優勝した。
相手は連覇を目指した仙台育英高校。
慶応は大正時代の第2回大会以来、
107年ぶり2回目の優勝を果たした。
けれど判官びいきの甲子園では、
すべてを敵に回した。
高校野球では仙台育英のほうが、
エリート集団なのだけれど。
慶應、早稲田には、
敵が多い。
朝日新聞「折々のことば」
第3177回。
私にとってブレイキンは
自己表現であり、
アートとか写真とかに
近いもので…
〈金メダリストのAMI(湯浅亜実)〉
「それが競技になり
勝負がすべてになって、
『オリンピックって大きいものに
潰されてしまうんじゃないか』
と不安にもなった」
(NHKテレビのニュース「おはよう日本」から)
わかる。
だから私は、AMIが好きだ。
ブレイキンは、
米国の貧困地区で生まれた。
集団間の勢力争いを暴力でなく、
ダンスで決したのが起源だ。
だから個性を研(と)ぎあうのが主眼。
そんな種目が、
現代オリンピックにあってもいいと思う。
しかしAMIの言う通りに、
ブレイキンは五輪に潰されてしまうのか。
次のロスサンゼルス大会では、
採用されないことになった。
新潟日報の巻頭コラム、
「日報抄」
「熱戦に沸いたパリ五輪とは次元が異なるが、
まだまだ終わらない夏場の戦いがある」
「帽子をかぶり、手袋をはめ、敵に向かう。
肩に背負うのはエンジン式刈り払い機。
手ごわい雑草との戦いに挑む」
コラムニストが自ら、
実家の雑草を刈る。
新潟らしい話題だ。
「雑草」を表す外国語の意訳。
ドイツ語は「植物にあらず」。
フランス語とスペイン語は「質の悪い草」。
イタリア語では「醜くて役に立たないもの」。
(ニーナ・エドワーズ『雑草の文化誌』)
植物学者の牧野富太郎。
「雑草という名の草はない」
御意。
『雑草の文化誌』にある。
「生えてはいけない場所に生えたら雑草。
バラが小麦畑に繁茂したら雑草になり、
根こそぎ抜かなくてはならない」
コラムニスト。
「雑草かどうか決めるのは、
環境や人の主観であり、
草に罪などない」
ブレイキンは五輪種目として見れば、
いわば雑草のようなものである。
環境や人の主観で決められるし、
ブレイキンに罪などない。
社会全体で見れば、
雑草のような存在は不可欠である。
〈結城義晴〉