朝日新聞「折々のことば」
第3216回。
編著者の鷲田清一さんの読書量と、
その見識、視野の広さには、
いつも舌を巻く。
いい写真というものは、
写したのではなくて、
写ったのである。
(写真家・土門拳)
「計算を踏みはずした時にだけ、
そういういい写真が出来る」
「作為をはぐらかすのだ」
「そういう写真を”鬼が手伝った写真”だと言う」
土門拳(どもん けん)は、
1909年(明治42年)、山形県酒田町生まれ、
1990年没。
昭和に活躍した写真家。
横浜の翠嵐高校出身。
商品や商売も同じ。
いい商品は、
売ったのではなく、
売れたのだ。
いい商売は、
売ったのではなく、
売れたのだ。
シャッターを押せば簡単に写せる写真を、
写したのではなく、
写ったと言い切る。
計算が外れる。
そんな時にいい作品ができる。
セレンディピティである。
何かを探しているときに、
探しているものとは別の価値があるものを、
偶然見つける。
むしろ作為をはぐらかす。
それが「鬼が手伝った写真」
鬼が手伝った商品、
鬼が手伝った売場、
鬼が手伝った商売。
鷲田さんは加える。
「教育だってそう」
「子どもは”育てる”よりも、
“育つ”ものと考えたほうがいい」
「大人がなすべきは、
そこにいれば子どもが勝手に育つような
空間を用意しておくことだろう」
同感だ。
私は「邪魔をしないこと」と言い続けてきた。
子どもに対しても部下に対しても、
学生や院生に対しても、
産業人に対しても。
さて自由民主党総裁選挙。
日経新聞の経済コラム「大機小機」
9月13日版のコラムニストは一直さん。
いつも辛口の直言をする。
タイトルは、
「コップの中の政策論争」
「各候補者による政策論争は視野が狭く、
目先にとらわれすぎている印象がある」
「”世界の中の日本”の視点が
決定的に欠如している」
102年前の1922年の名著『世論』
ジャーナリストのW・リップマン。
米国では大統領以上に名前が知れていた。
そのリップマンの言葉。
「民主主義には根本的に欠陥がある」
第1次世界大戦が終わって、
ドイツなどで民主主義は危機にさらされていた。
新生ソ連が共産主義拡張の土台を築き始めた。
リップマン。
「われわれはたいていの場合、
見てから定義しないで
定義してから見る」
つまり人々は、
先入観、ステレオタイプでものごとを見る。
人々が頭に描く像は、報道や宣伝で大きくゆがみ、
真実とは異なる。
コラムは日本の自民党総裁選にその傾向を見て取る。
一方、京都大学の佐藤卓己教授が、
2018年に書いた『ファシスト的公共性』の
評価が高い。
佐藤教授はメディア論を専門とする歴史学者。
「議会制民主主義のみが民主主義ではない」
「大衆運動であるファシズムは、
反民主主義であったことはない」
実際に、ヒトラーは国民の支持で選ばれ、
第2次世界大戦への道を開いた。
一直さんは強調する。
「目を外に向けると景色は全く異なる」
「日本の国是ともいうべき自由貿易主義は
保護主義の前に揺らぎ始めている。
専制主義大国・中国の拡張主義が
日本の安全保障を脅かそうとしている」
「このような世界環境の中で、
日本はどう生きようとするのか。
どう世界の難題解決に貢献しようとするのか」
「いまの政策論争は、
矮小な”コップの中の争い”に見える」
さて、新総裁となる人は、
見てから定義する政治家なのか。
定義してから見る人は、よろしくない。
いい写真というものは、
写したのではなくて、
写ったのである。
いい商売も、
売ったのではなく、
売れたのだ。
〈結城義晴〉