東京駅。
毎月1回、やってくる。
血液検査と尿検査。
そして診察。
今回はヘモグロビンA1ⅽが、
6.1に下がった。
奇跡的。
成人男子の基準は4.6~6.2となっている。
しかし高齢者は6.8くらいでも合格だ。
私の値はずっと6.5から6.7あたりにあった。
それが6.1まで下がった。
ヘモグロビンA1cは、
1カ月間のグルコース(血糖値)の値を、
積み上げた地力を示す数値だ。
体調そのものを表す。
一方、血糖値は検査時点の値。
ヘモグロビンが損益計算書で、
グルコースが貸借対照表のようなものか。
今回はグルコースも82で、
空腹時の基準70~109の枠内に収まった。
私の主治医の田嶼尚子先生から、
「パーフェクトよ!」と褒められた。
それでも先生の指導は、
⑴もっと運動をするように、
⑵もっと日常的に水を飲むように。
了解しました。
横浜の商人舎オフィスに戻って、
連載の原稿執筆。
3000字を書き上げた。
面白い内容となった。
それから夕方には、
懐かしいメンバーの飲み会。
㈱商業界の元敏腕編集長が参集した。
みんな、私の部下だった。
私が任命していい雑誌をつくった。
左から宮崎文隆さん。
元「販売革新」編集長。
工藤澄人さんは元「商業界」編集長。
右の山本恭広さんは元「食品商業」編集長、
現商人舎編集長。
山本さんと工藤さんは、
食品商業時代の部下。
山本さんが新卒で入社し、
食品商業編集部に配属された。
工藤さんはその1年後に編集部に入ってきた。
そのころ店長特集を企画した。
特集のなかに「店長の一日」のルポ記事を、
2本入れることにした。
北海道の北雄ラッキーと、
福岡のサニー。
編集会議で決まって、
この2店舗の取材記事を、
山本&工藤の新人二人が競演することになった。
私の判断だったそうだが、
二人は揃って北海道と九州に取材の旅に出た。
そして山本さんがサニー、
工藤さんが北雄ラッキーの記事を競作した。
私は競争を仕掛けた。
二人は競いながら記事を書いた。
もちろん個性的な二つの記事は、
好評を博した。
そんな日々を繰り返しながら、
みんな育っていった。
そして食品商業の黄金期が築かれた。
1990年代の後半の時期だ。
宮崎さんは販売革新時代の部下だ。
「全篇まるまる価格問題特集号」や、
「全篇まるまるウォルマート問題特集号」は、
宮崎さんと一緒につくった。
商業界の伝統的な編集部には、
見かけなかったタイプの編集者で、
ユニークな発想と独特の動きをした。
そして私が編集担当取締役になり、
社長になった段階で、
みんな編集長になった。
宮崎さんは私が最後に任命した編集長だ。
工藤さんは今、小説家でもあって、
3年前の日経小説大賞の次点に入った。
惜しかった。
その『他人の子』という物語には、
私と山本さんが名前を変えて登場するそうだ。
まだ、本になっていないので、
私も読んではいない。
けれど次の作品では、
いい結果を出してくれるだろう。
私たちの黄金のとき、
彼らの青春時代。
小説になるほどの日々だった。
体調もパーフェクトになったし、
昔の仲間と楽しい時間を過ごしたし、
とてもいい日だった。
ありがとう。
〈結城義晴〉