訃報が続く。
俳優の火野正平さん。
11月14日に亡くなった。75歳。
まだまだ若い。
ユニークなキャラクターの役者で、
自転車に乗って日本全国を走った。
その紀行番組「にっぽん縦断 こころ旅」
何の気なしにときどき見ていたが、
いい感じの番組だった。
北の富士勝昭さんは、
82歳で逝去。
大相撲第52代横綱北の富士。
優勝10回。
ライバルの玉ノ海ともども、
出世街道を登る過程をずっと見ていた。
私が中学に入った1964年に、新入幕。
2年後の66年に大関。
70年初場所後に横綱に推挙された。
ライバルの玉乃島(のち玉ノ海)と同時昇進だった。
そして北玉時代を築いた。
私はスピード相撲の北の富士派だったが、
玉ノ海のオーソドックスな相撲も好きだった。
玉ノ海は1971年10月11日、
現役横綱のまま27歳で没した。
10度の優勝を果たしたあと、
北の富士は75年に現役を引退し、
親方となって2横綱を育てた。
千代の富士は大鵬、北の湖と並ぶ最強の横綱、
北勝海は現在の八角相撲協会理事長だ。
北の富士はその後、大相撲の名解説者となった。
この解説も明快で洒脱。
スポーツ新聞の連載コラムは、
自ら原稿用紙に手書きした。
赤字を入れる必要のない文章だった。
読書家だった。
栃錦と若乃花の栃若時代、
柏戸と大鵬の柏鵬時代、
それから北玉時代。
そのあとは輪島と北の湖の輪湖時代。
そんな両雄時代は去った。
千代の富士時代、
貴乃花時代、
朝青龍時代。
白鵬時代。
そのあとは弱い横綱時代。
北の富士、粋な横綱だった。
それから、
高木剛さんも亡くなった。
元連合会長。
商人舎発起人に名を連ねていただいた。
三重県出身で、東京大学法学部卒業。
野球部レギュラーとして六大学野球で鳴らした。
故渥美俊一先生が同郷、同窓という間柄で、
私はその渥美先生から紹介を受けて親しくなった。
雑誌のインタビューにも応じていただいた。
旭化成工業で労働運動の世界に入り、
ゼンセン同盟会長を経て、
2005年から4年間、第5代連合会長。
2009年には小沢一郎民主党幹事長と組んで、
民主党政権誕生を樹立させた。
高木剛さんは80歳だった。
心からご冥福を祈りたい。
メジャーリーグのMVPは、
レギュラーシーズンに最も活躍した選手が受賞する。
ナショナルリーグとアメリカンリーグ、
それぞれに全米野球記者協会の記者30人が投票する。
大谷選手のMVP受賞は両リーグをまたいで、
2年連続3回目。
指名打者としては大リーグ初の快挙。
両リーグでの受賞は2人目。
大谷の受賞は30人全員が1位に投票した満票。
文句なしのMVP。
打率3割1分、ホームラン54本、130打点、
ナショナルリーグの本塁打と打点の二冠王、
それに59盗塁。
大リーグ初の50本塁打50盗塁の「50-50」。
アメリカンリーグのMVPは、
ヤンキースのアーロン・ジャッジ。
両リーグトップの58本塁打。
こちらも満票だった。
大谷翔平は凄い記録をつくったけれど、
人間としての在り方がいい。
そのコメント。
「ドジャースの一員として、
代表してもらったと思っているので、
みんなでつかみとったものだ」
「MVPをとりたいなと思って
シーズンに入ったわけではない」
MVP最多受賞はバリー・ボンズの7回。
次に多いのが3回受賞で、
ヤンキースのジョー・ディマジオ、
ミッキー・マントル。
それからアレックス・ロドリゲス、
そしてマイク・トラウトなど11人。
大谷は来シーズンから、
大リーグ史上2番目の4回目のMVPを狙う。
この大谷翔平時代を、
私たちはリアルで見ている。
世間は思い通りにならないことばかり。
だが大谷と時間を共有できる私たちは幸せだ。
さて私は朝9時半からオンライン会議。
㈱True Dataの取締役会。
日本有数のある企業を舞台に、
世界的なある企業と連携して、
画期的なシステムを推進します。
私は表現した。
「いつか日本全国を覆いつくすような仕組み」
みんな頑張ってください。
ご期待ください。
その後、東京・大手町。
クリスマスツリーが飾られていた。
大手町プレイス内科で、
血液と尿の検査。
そして診察。
ヘモグロビンA1ⅽは2カ月連続で6.1。
これは成人男性の上限6.2を下回った。
中性脂肪も79。
この上限基準は149だから、
こちらも快調。
尿酸値は4.5で順調。
田嶼尚子先生から褒められた。
ただしCPK(クレアチンホスホキナーゼ)値は、
基準に達しなかった。
「運動が足りないわね」と田嶼先生。
ゴルフとその練習はしているが、
日常的な運動が少ない。
「歩け、歩け、よ」
「御意。」
田嶼尚子先生の言うことは、
何でも聞く。
北の富士さんを超える85歳まで、
私は現役を続けることを公約している。
合掌しつつ、頑張りたい。
〈結城義晴〉