月刊商人舎の新年号に向けて、
トップマネジメントの皆さんに、
アンケートをお願いしています。
もうすでに、
ご回答をくださった企業もあります。
よろしくお願いします。
さて今日は商人舎オフィス。
新年1月号の原稿を1本入稿した。
2025年の新たな年を迎えるから、
新進の経営学者に寄稿してもらった。
流通科学大学商学部の白鳥和生教授。
楽しみにしてください。
その銀杏の中に桜の木が一本。
早咲き。
東京は今年一番の寒さだったが、
見事に開花した。
良いものを見せてもらった。
ちょっと得した気分になった。
その地下1階の大手松プレイス内科。
毎月の血液と尿の検査。
そして診察。
ヘモグロビンA1cは6.2。
今月も合格。
中性脂肪が少し高い。
尿酸値も4.7。
ただしCPKが60。
完全な運動不足。
検査は凄い。
体に関してあらゆることがわかる。
車やタクシーを減らして、
歩け、歩け。
それから毎日のスクワットを2倍にしよう。
それでもタニタの体重計では、
体内年齢が実年齢より15歳若い57歳だ。
田嶼尚子先生、
1年間ありがとうございました。
来年も頑張ります。
よろしくお願いします。
さて渡邉恒雄さんが亡くなった。
㈱読売新聞グループ本社代表取締役主筆。
大正15年生まれの98歳だった。
死ぬまで代表取締役で、
なおかつ主筆だった。
故渥美俊一先生と同年。
読売新聞記者としては、
ナベツネさんが1年先輩だった。
渥美先生は商業担当記者、
渡邉さんは政治担当。
2011年に亡くなった氏家齊一郎さんは経済担当。
日本テレビ放送網の社長・会長。
みんな大正15年生まれの東大卒。
渡邉さんが学生時代に共産党に入党して、
氏家さんを誘った。
その氏家さんはセゾンの堤清二さんとも親しく、
同じく共産党員だった。
彼らの「先輩格」だったのが、
西友の実質的な創業者・上野光平さんだった。
共産党の東大細胞の理論的支柱だった。
渡邉さんは文学部を卒業、
氏家さんは経済学部、
渥美先生は法学部出身。
ナベツネさんは、
ジャーナリストとしても一流だったが、
政界の中に入り込んで、
とくに故中曽根康弘元首相と昵懇の仲だった。
読売ジャイアンツのオーナーにも就任して、
日本の野球界に君臨した。
しかし本質的には、
ジャーナリストではなかったのだと私は思う。
日経新聞「私の履歴書」
今月はジェラルド・カーティスさん。
コロンビア大学名誉教授。
日本語に堪能の日本政治の専門家。
履歴書では日本の政治家との交流が面白い。
そのなかで秀逸なのは、
第16回の「中曽根康弘氏」
カーティス教授は1966年に再来日して、
中曽根さんと出会う。
そして旧大分2区の選挙区を舞台にして、
『代議士の誕生』という博士論文を執筆する。
それが出世作となった。
「選挙のお手本」とまで言われる名著だ。
そのきっかけを中曽根さんがつくってくれた。
交流は中曽根さんが亡くなるまで続いた。
出会いから16年後の82年に、
中曽根総理が誕生し、
5年にわたりその座にとどまった。
国内では国鉄や電電公社の民営化を進めた。
日米同盟の重要性を唱えて、
ロナルド・レーガン大統領と、
「ロン・ヤス」と呼び合う親密な関係を築いた。
カーティス教授。
「日米の首脳がファスト・ネームで呼び合う習慣は
その後も続いたが『ロン・ヤス』は本物だったと思う」
米国の影響下で起草された憲法の改正を主張し、
首相になっても『戦後の総決算』を訴えた。
右派のナショナリストとの印象がある。
カーティス教授は、
「私は『国際的なナショナリスト』という表現が
正しいと思う」
「偏屈な日本中心の視点ではなく、
世界における日本の立ち位置を常に考えつつ、
洗練された目で外交・国際問題を観察していて
学ぶことが多かった」
「教養があり、哲学的に深い人物だった」
カーティス教授の印象に強く残っているのが、
憲法改正をめぐる中曽根さんの考え方の変化だ。
変わったあとの2013年2月のインタビュー。
「憲法の改正はだんだん遠ざかる。
一般の人たちはそれほど改正の必要を感じない。
憲法の独自性とか、誕生の秘密性とか、
そういう問題は我々の時代には非常に強かったが、
時間がたってみたら、
そのような意識はほとんどなくなって、
中身が良いか悪いか、
そう悪くないじゃないかと、
そういう過程に入ってきている」
この中曽根元総理の見方は正しいと思う。
カーティス教授。
「日本は歴史上、外のものを多く輸入、消化し、
自分のものとしてきた」
「憲法も誕生の過程はともかく、
時を経て日本国民に受け入れられたのだから
全面改正の必要はなく、
不都合な部分に手を入れればいい。
そういう思いなのだと私は受け止めた」
同感だ。
最後に会ったのは100歳の時。
「国際情勢への関心をいささかも
失っていなかった」
翌年、101歳で大往生した。
「少し前にほほ笑みながら読んでくれた
自作の詩を思い出した」
「夢見るのは飽きた。
今は寝るだけだ」
渡邉恒雄さんも、
同じ気持ちなのだろうと思う。
ご冥福を祈りたい。
〈結城義晴〉