2025年最初の三連休。
最後は成人の日。
今年は三連休が8回ある。
昨年は11回だった。
三連休のシナリオは、
それぞれの企業、それぞれの店ごとに、
きちんとできていなければならない。
ホップ、ステップ、ジャンプなのか。
ジャンプ、ステイ、ジャンプなのか。
ステイ、ジャンプ、ステイなのか。
それともアベレージ型なのか。
それにしても今年の新成人。
109万人。
成人たちには是非とも、
仕事に生きがいを見つけてほしいものだ。
再びみたび、
『天才たちの日課』から。
メイソン・カリー著。
オノレ・ド・バルザック。
19世紀のフランスを代表する小説家。
イギリスの作家サマセット・モームは、
バルザックを評している。
「確実に天才とよぶにふさわしい人物」
そのバルザックの仕事のスケジュールは、
過酷なものだった。
午後六時に軽い夕食をとったあと、
ベッドに入って寝る。
午前一時に起きて書きもの机の前にすわると、
7時間ぶっとおしで書く。
午前8時から1時間半仮眠して、
午前9時半から午後4時まで仕事。
その間、ブラックコーヒーを何杯も飲む。
午後4時に散歩に出て、風呂に入り、
6時まで客に応対する。
そのあとまた同じスケジュールの繰り返し。
「一日一日が私の手のなかで、
日なたに置いた氷のように解けていく」
バルザックはそう書いている。
「私は生きているのではない。
自分自身を、恐ろしいやり方で消耗させている
──だが、どうせ死ぬなら、
仕事で死のうとほかのことで死のうと同じだ」
バルザックの決意。
仕事にはこのくらいの意気ごみで取り組みたい。
スティーヴン・ジェイ・グールド。
進化生物学者で作家。
「私はつねに仕事をしている」
「私は毎日仕事をする。週末も、夜も……
それをはたから見ると、
“仕事中毒”という現代的な言葉で
表現できるかもしれないし、
“強迫観念にとりつかれている”とか
“破滅的”といえるかもしれない」。
「だが、私にとって、仕事は仕事じゃない。
単に日々やっていることで、
それが私の生活なんだ」
「家族ともじゅうぶんな時間をいっしょに過ごし、
歌も歌うし、野球の試合もみにいく」
「だが、基本的には、始終仕事をしている」
それは私にとって、
「仕事じゃなくて、生活だ。
毎日やっていることで、
やりたいことなんだ」
仕事が生活となる。
グールドのあり方を、
私も目指している。
フランツ・シューベルト。
オーストリアの作曲家。
毎朝6時に書きもの机の前にすわって、
午後1時までぶっとおしで作曲し、
そのあいだによくパイプを吸っていた。
午後になると、朝ほど勤勉ではなくなる。
午後はまったく作曲しなかった。
昼食のあとコーヒーハウスへ行き、
ブラックコーヒーを少し飲んで、
パイプを吸いながら、1、2時間、
新聞を読んで過ごす。
夏の午後にはよくウィーンの郊外の田園地帯へ
長い散歩に出かけた。
そのあとビールかワインを一杯、
友人といっしょに楽しむ。
ピアノの個人教授をするのは避けていて、
いつも金に困り、しょっちゅう友人に
経済的な援助を頼まなければならなかった。
友人の一人。
「彼は作曲においては並はずれて勤勉で
創造性にあふれていたが、
それ以外の仕事と名のつくものに関しては、
まったくの役立たずだった」
音楽以外まったくの役立たずでも、
シューベルトは多くの名曲を残した。
もちろん彼らとは違う人生もある。
すべての成人が天才になる必要はない。
けれどバルザックやグールド、
さらにシューベルトのような生き方がある。
それは知っておいていいだろうと思う。
〈結城義晴〉