正月を除いて、
今年二度目の三連休。
最初が成人の日の三連休。
今回は天皇誕生日の三連休。
ただし振り替え休日は、
ただの休みであって、
それ自体意味はない。
体の疲れはとれた。
しかし眠くて仕方がない。
これが時差ボケなのだろう。
ニューヨークでは都合8回、講義した。
ザ・ニューヨーカーの3階の会議室。
朝7時に始まる。
それぞれ2時間の枠。
それでも足りないので、
バスの中でマイクを握って語り続ける。
午前9時から午後6時まで。
これが私の米国研修スタイル。
観光スポットに来ると、
富澤由紀子さんにマイクを譲って、
ガイドしてもらう。
ときどき浅野秀二さんにも、
語ってもらう。
テキストは199ページ。
その大半を説明する。
講義でも車中レクチャーでも、
脱線が多い。
何かを説明していると、
それに関連する内容が、
頭に閃く。
そしてその説明に入っていくと、
また連鎖する内容が浮かぶ。
しかしそれが面白いらしい。
店舗を巡るときにも、
みんなを引き連れて売場ごとに説明したい。
しかしそれを店側が一番嫌がる。
団子になってぞろぞろと売場を歩くと、
何よりも顧客の買い物の邪魔をしてしまう。
アメリカの優れた店は、
ショッピング・エクスペリエンスを提供している。
それを阻害してはならない。
視察する側は各自が自分の眼で見て、
自分で買い物をして、
体験してもらいたい。
だから売場での解説はほとんどしない。
2、3人に対して適宜説明することはある。
質問を受けることもある。
それ以外の時間は私も観察を続ける。
必ず発見がある。
それが私自身の勉強や情報収集にもなる。
座学講義の中で最後に強調するのが、
フォーマットの概念だ。
ロピアは業種から始まった。
肉の宝屋藤沢店。
それが業態となった。
ユータカラヤ。
そして素早くフォーマットをつくった。
ロピア。
故人となったクレイトン・クリステンセンが、
『イノベーションのジレンマ』の冒頭に書いている。
原題は「The Innovator’s Dilemma」
ショウジョウバエは1日のうちに、
受精し、誕生し、成長し、死に至る。
つまり超短期間で結論が出る。
クリステンセンは、
短期間に変化を遂げるイノベーション現象を、
ショウジョウバエの一生に喩えた。
そしてこれに似た現象を研究した。
ロピアはそんな変化を遂げて今に至る。
拙著『コロナは時間を早める』では、
「コロナ禍はショウジョウバエ現象だ」とも解説した。
「フォーマット」は、
「業態が分化したさまざまな形」である。
神戸大学名誉教授の田村正紀先生の持論。
私はこの「フォーマット」を使って、
店舗づくりのイノベーションを説明している。
「新業態」と呼ばれるものは、
たいてい、新しい「フォーマット」である。
業態の分類の中の自社独自の「ビジネスモデル」である。
業態は一つのビジネスジャンルに共通したもので、
それぞれに5兆円、10兆円の規模をもつ。
クローガーもウェグマンズも、
ホールフーズもトレーダー・ジョーも、
スーパーマーケット業態に分類される。
しかしそれぞれに、
個性的なフォーマットを展開している。
ライフコーポレーションもヤオコーも、
ヨークベニマルもサミットも、
万代もロピアも、
スーパーマーケット業態である。
そのなかで独自のフォーマットをつくっている。
田村先生は書いている。
「小売業の進化や盛衰の動態を、
業態とフォーマットという
二つの水準間でとらえる
『二階層分析』が必須である」
さて今日は昼間はゆっくりして、
夕方、代官山に出かけた。
ちいさなイタリアンレストラン。
「オステリアウララ」
気分に合わせて自分で選ぶ。
決まったメニューから選ぶのが「業態」だとすれば、
自分でメニューを選択できるのが、
「フォーマット」だろう。
立教大学大学院の結城ゼミ3期生の集まり。
左から山口毅さんと朝川康誠さん、
それから岡本あゆ子さん、佐藤康裕さん。
みんなマスターをとってから12年が経過する。
それぞれに成長し、仕事に邁進し、
そのうえで社会貢献をしている。
見事な人生だと思う。
私は「人間万事塞翁が馬」の話をした。
このブログでも何度か書いた。
ロピア研修の講義のなかでも語った。
中国の「淮南子―人間訓」の故事。
北の国境に住む老人・塞翁。
飼っていた馬が胡の国へ逃げてしまった。
人々は塞翁を慰めた。
しかし翁は幸運をもたらすかもしれないと言った。
その馬はのちに胡国から、
りっぱな馬を連れて帰ってきた。
人々は幸運がやってきたと称えた。
翁はこれを不運の兆しだと言った。
その後、塞翁の子がその馬に乗っていて、
落馬して足の骨を折ってしまった。
しかし戦争が起こって、
多くの若者は戦場に行った。
そして戦死した。
塞翁の息子は怪我のために、
戦争に行かずに済んでしまった。
幸運と不運は次々にやってくる。
不運が原因となって幸運が訪れる。
幸運が理由となって不運に見舞われる。
その繰り返しだ。
振り返ってみると私の人生も、
そんな「塞翁が馬」だった。
結城ゼミ3期生の人生も、
「塞翁が馬」だった。
まだまだ希望をもって生きてほしい。
こう言い切るのはちょっと恥ずかしいけれど、
大事なのは「世のため、人のため」です。
ありがとう。
〈結城義晴〉