立春が過ぎても、
寒さは続く。
北極方面から寒波が、
対をなして二方向へ流れ込んでいる。
一方はカナダ東部方面へ、
そしてアメリカ北部へ。
もう一方がユーラシア大陸から、
日本列島へ。
私は今週木曜日からニューヨークに出張する。
16日間。
最低気温はずっと氷点下だ。
思いやられる。
しかし冬のニューヨークは、
いつもこんなもの。
覚悟はできている。
さてそのアメリカ。
日経新聞の経済欄エッセイ「大機小機」
「米国の世紀の終わり」
コラムニストは与次郎さん。
この欄は学者・ジャーナリストなどが、
匿名で書いているから、
ズバリと指摘する。
今回も納得できる。
1月20日、米国の第47代大統領に、
ドナルド・トランプが就任。
「米国の黄金時代が今始まる」と宣言した。
アメリカの1人当たりのGDPは、
1899年にイギリスを抜いた。
19世紀に大英帝国が世界に君臨した。
それに代わって米国が世界1位の経済大国となった。
しかしアメリカも、
「直ちに国際政治の表舞台に躍り出たわけではない」
2つの大戦に挟まれた1930年代、
世界は大恐慌に陥った。
経済学者キンドルバーガーは指摘した。
大恐慌の理由の一つは、
「経済大国となった米国が国際政治において、
しかるべきリーダーシップを
発揮しなかったからだ」
「しかし第2次世界大戦の終結時、
米国は自他共に認める国際社会の
リーダーとなっていた」
第2次大戦末期の1944年。
米国の避暑地ブレトンウッズで会議が開かれた。
イギリスは経済学者ケインズが率いていた。
アメリカはこのケインズとともに、
関税を下げて自由貿易を推進する、
戦後のレジームを提唱した。
「ブレトンウッズ体制」である。
大恐慌の30年代に各国は、
自国産業を守るため高い関税を課し、
結果として世界貿易を縮小させて
対立の時代を招いた。
それへの反省があった。
「米国はこうした理念を実現すべく、
リーダーとしての役割を果たした」
ケネディ大統領が提唱し、
関税貿易一般協定(GATT)の交渉で、
各国の利害を調整して関税の引き下げをして。
「ケネディ・ラウンド」と呼ばれる。
これが大戦後の自由貿易体制の成果だった。
その後、米国は変容し、
日米貿易摩擦も起こした。
それでも、世界貿易機関(WTO)が、
十分には機能しないなかで、
地域的な貿易協定を進めるなど
自由貿易の旗を降ろさなかった。
しかし2期目のトランプ大統領の再登板で、
「自由で開かれた世界」のリーダーであった、
米国の時代は終焉した。
米国第一主義を唱えるトランプが、
最も重視する手段は関税だ。
「国際社会は一気に、
100年ほど前に戻ることになる」
そう、100年前に後退する。
国際政治学者ジョセフ・ナイ。
「米国の強さは経済力だけでなく、
『ソフトパワー』によって支えられている」
コラムニスト。
「確かに、かつての米国には
そうした無形の魅力があった。
だから各国は『米国の世紀』を受け入れたのだ」
しかし、突然。
グリーンランドは自国のものであるべきだなどと、
米国大統領が公言する。
この不躾(ぶしつけ)に、
世界は眉をひそめた。
コラムニスト。
「こうして、米国は、
ソフトパワーも失うことになった」
「内向き」になろうとするアメリカは、
どう変わっていくのか。
もちろん米国チェーンストアの先進性は、
すぐに失われるものではない。
私たちはそれを実感しに行く。
大統領選挙のあと、
若いアメリカ人が言っていた。
「われわれの政治は、
スポーツのようなものだ」
勝ったり負けたりのスポーツか。
そんな軽いものなのか。
わかる気はする。
しかし「米国の世紀の終わり」が、
世界を変えることは確かだ。
朝日新聞「折々のことば」
第3333回。
耳は大なるべく
口は小なるべし
(ことわざ)
「情報は広範囲から得るのがよいが、
それを人に語るのは控えめにしたほうがいい」
ことわざとドラルド・トランプは正反対だ。
くわえて「耳の楽しむ時は慎むべし」
(甘いことを言われるとつい判断を誤るから、
何事も慎重に)
サム・ウォルトンのことば。
Keep your ear to the ground!
〈地に耳をつけよ〉
ウォルマートはずっと、
そうあってほしいと思う。
〈結城義晴〉