日本の将棋界も年度末に差し掛かった。
先週は「将棋界の一番長い日」だった。
A級順位戦の10人のトップ棋士が、
一斉に対局をした。
名人挑戦者を決める、
棋界最高のリーグの最終戦だ。
ちょっと小粒になった観は否めないが。
その分、最高棋士は図抜けている。
藤井聡太名人である。
14歳でプロ入りして22歳。
現在、7冠。
佐藤天彦九段と永瀬拓也九段が、
同率首位となって、
挑戦者決定戦になった。
その藤井聡太王将に、
永瀬九段が挑戦する74期王将戦。
その7番勝負第5局。
ここまで藤井3勝、永瀬1勝。
2日制の王将戦。
1950年に毎日新聞が始めた歴史ある棋戦だ。
埼玉県深谷市で土日に行われた。
この第5局。
珍しいことが起こった。
藤井はプロ入り以来、
先手番でも後手番でも、
不動の手を指してきた。
飛車先の歩をつく手だ。
先手ならば2六歩、
後手ならば8四歩。
その前に「初手お茶」と呼ばれて、
まずお茶を飲む。
これは戦況には関係ない、
余興のようなもの。
今回は後手番で、
角道を開ける3四歩を指した。
「おおっ」と控室がどよめいた。
アベマテレビで見ていたファンも、
全国から歓声を上げた。
同姓の藤井猛九段は述懐した。
「いいものを見せてもらいました」
藤井猛は振り飛車戦法の専門家で、
「藤井システム」を考案した天才だ。
藤井は雁木という戦型に持ち込んだ。
アマチュアの私など、
中々、指しこなせない難しい戦術だ。
藤井は研究を重ねて、
この第5局に臨んだ。
意気込みが感じられた。
初日の土曜日は、
淡々と駒組が進んだ。
そして2日目。
少しずつ優勢を確保して、
あとは藤井曲線。
まったく波乱のない戦況のまま、
午後7時49分、藤井が120手目を指すと、
しばらく考えて永瀬が投了した。
対戦成績4勝1敗。
王将位を防衛、4連覇を果たした。
次年度に防衛すれば、
「永世王将」となる。
これで通算タイトル獲得数は28期。
谷川浩司十七世名人を抜いて、
単独5位となった。
前にいるのは、
羽生善治、大山康晴、中原誠、
そして渡辺明。
終局後の藤井王将のコメント。
「今シリーズは指していて充実感がありましたし、
その中で結果を残せたのはうれしく思います。
2日制の長い持ち時間で指すことができて、
いろいろと勉強になりました」
いつも謙虚だ。
昨2024年6月に叡王位を失った。
同年の伊藤匠に敗れた。
全八冠から七冠に後退したものの、
その後はすべて防衛を続けている。
この王将戦で24年度のタイトル戦は終了した。
名人戦は再び永瀬と対局する。
2024年度は3月で終わる。
その今期、象徴的な事件が起こった。
羽生善治九段のB級1組陥落である。
将棋界では毎年、棋士の順位が決められている。
すべての棋士は「順位戦」に参加している。
その順位戦は5つのクラスに分かれている。
A級からB級1組、B級2組、
C級1組、C級2組。
プロになりたての棋士は、
C級2組の最後に入る。
その下に「フリークラス」があって、
順位戦に参加しないベテラン棋士が属している。
現在は日本将棋連盟会長。
永世七冠資格保持者。
その羽生善治九段が、
B級1組の最終戦に敗れて、
4勝7敗となって、
陥落が決定した。
B級1組は「鬼の棲み家」と呼ばれて、
兵揃いのクラスだ。
全棋士が虎視眈々とA級を狙って、
日々研鑽するクラスだ。
レジェンドの中のレジェンドの羽生善治。
B級1組にいるのならば、
まあ納得がいくが、
全クラスの真ん中のB級2組となってしまった。
羽生善治が「平均的な棋士」になってしまった。
寂しい限りだが、
それが現実だ。
羽生善治にはAIという、
もうひとつの敵がいる。
若手も中堅も、
AIを活用しない者はいない。
羽生世代も必死で、
それを取り入れているが、
ネイティブにはかなわない。
15歳でプロになって、
いま54歳。
一方、大先輩棋士には、
故大山康晴十五世名人がいた。
将棋界の巨人と称された。
大山はA級連続在位44期。
名人18期。
50歳を超えてから、
タイトルを11期獲得した。
羽生もこの大山は意識しただろう。
そしてそれは十分可能だったと思う。
大山は68歳で癌に病んだ。
そして手術を受けた。
そのあとでA級順位戦に復帰した。
そして残る3戦をすべて勝って、
名人挑戦のプレーオフ戦に進出した。
同率首位だったのが
米長邦雄、高橋道雄、谷川浩司。
脂の乗り切った達人ばかりだった。
残念ながらこのプレーオフには負けた。
そして対局後に癌が再発して、
半年後に逝った。
羽生善治に大山康晴を真似ろとは言わない。
先に書いたようにAIの存在があり、
そのネイティブたちがいる。
藤井聡太の七冠、
羽生善治のB級2組。
どちらもずっと見ていたい。
〈結城義晴〉