土曜日ながら、
山本恭広編集長が動き回った。
午前中は商業問題研究会の勉強会。
Retail Management Learning Circle。
略して、RMLC。
もともとは故杉山昭次郎先生を囲む会だった。
「杉山ゼミ」と称した。
このゼミから「ヤオコー・スタディ」が生まれた。
ヒヤリングを重ねた研究レポートだ。
ヤオコーの原点を見つめた報告書である。
杉山先生が引退されると、
磯見精祐さんが座長となって、
丁寧に研究会は続けられた。
その磯見さんが2007年11月に逝去され、
翌年、結城義晴が座長を拝命して、
研究会は続いた。
この研究会から単行本が生まれた。
東洋経済新報社刊『小売業界ハンドブック』
私が多忙となって参加できなくなってからは、
事務局長の高木和成さん中心に、
継続している。
現在は山本編集長が参加している。
さらに今年17日には、
RMLC主要メンバーに参集していただいて、
月刊商人舎の座談会を開催した。
それが商人舎2月号に掲載された。
[緊急特別企画]
西友はどうなる?!
OBと語るカウントダウンまでの顛末とその真因
この座談会の中で、
井口征昭(いぐちゆきあき)さんが、
実に面白いエピソードを紹介してくれた。
井口さんは1969年に㈱西友入社。
1978年、商品開発促進部食品担当課長。
無印良品の最初の開発に携わった。
1992年、取締役食品事業部長、運営部長。
2000年、㈱スミス社長。
2005年、㈱そごう取締役食品部長兼西武百貨店食品部長。
現在もコンサルティング業務に携わる。
常務だった高丘季昭(すえあき)さんから、
井口さんはオーナーシップについて教えられた。
高丘さんは華族出身で、
東京大学法学部政治学科卒業後、東京新聞入社。
その後、ニッポン放送解説委員を経て、
東大時代の友人の堤清二さんから誘われて、
1963年、西武百貨店入社。
1971年に西友ストアーに移って、
1973年常務、1984専務、
1987年に代表取締役副会長、1988年会長。
1986年にはファミリーマート会長兼任。
日本チェーンストア協会第7代、第8代会長。
凄い経営者だった。
その高丘さんが堤清二さんについて言う。
堤さんはご存知、セゾングループ総帥。
父・康次郎氏は西武グループのオーナー。
父から西武流通グループを譲り受け、
西武百貨店を日本一の百貨店に飛躍させた。
一方、チェーンストアの西友を創設し、
ダイエー、イトーヨーカ堂に次ぐ
業界3位に成長させた。
高丘さん。
「堤さんと一緒にトイレに入ったら、
手洗いした後、ペーパータオルを2枚取るな」
「オーナーにとってはすべてが自分のものなんだ。
1枚取って、きれいにたたみながら使え」
井口さんは述懐する。
「オーナーとの付き合いを教わった気分でした」
私は唸った。
高丘さんはよく見ていた。
井口さんもよく覚えていた。
私も㈱商業界に務めているときには、
オーナーとの付き合いがあった。
商業界は故倉本長治主幹が創業し、
その子・倉本初夫主幹がオーナーを継いだ。
私は若いときから生意気で、
初夫主幹にはズバリズバリと意見を言った。
編集長から編集担当取締役、専務になり、
最後は社長に就任した。
専務になったときから社長時代まで、
ずっと商業界ゼミナールの基調講演をした。
もちろん初夫主幹は存命だったが、
高齢でもあって私に譲ってくださった形だった。
私は遠慮なく基調講演をやった。
日常的には父の世代の初夫主幹に対して、
精一杯、敬意を払っていた。
しかし仕事上は代表取締役社長として、
遠慮なくものを言ったし、行動した。
「ペーパータオルを2枚」、
取ってはならないといった配慮は、
まったくなかった。
それがもしかしたら、
私の人生を変えた。
商業界の歴史も変えたのかもしれない。
井口さんの話を聞いて、
私はそんなことを考えた。
さて山本編集長は夕方、
高野保男さんにインタビューした。
レイバースケジューリングの第一人者。
今回は「生産性」に関して、
貴重な話をしてくださった。
一方、私はひこばえの会に参加した。
私の高校時代の文学同人誌の仲間の会。
今も続いている。
そこから10分ほどゆっくり歩くと、
「裏横」と呼ばれる一角がある。
なかなか趣のある飲食店横丁。
7人の仲間は昨年から、
四半期に一度会うことになった。今日は篠田宏がハワイに行っていて欠席。
全員が72歳。
高校1年のときに私も誘われて、
先輩から引き継いだ文学同人誌「孼」に参加した。
関孝和(右奥)が世話人で、
みんなの面倒を見てくれる。
昔の先生の話、病気自慢、
料理をするかしないかの話などが続いて、
次回の7月はカラオケ大会をすることになった。
この仲間とは、
「ペーパータオル1枚」など、
気を遣うこともない。
健全なじじいの集まり。
それは実にいい。
〈結城義晴〉