田村正紀「流通モード進化論」と二宮尊徳・渋沢栄一の「経済と道徳」
明日から、
天皇譲位に伴う10連休に突入し、
5日後の5月1日から、
元号は「令和」の時代に入る。
今上天皇陛下もご健在であるし、
即位される皇太子殿下もご壮健で、
目出度い。
まずはその目出度さを祝い、
全国民とともに新たな希望を抱きたい。
この10日間で1兆円の消費上積みがある。
この予想は当たらずとも遠からず。
GDPにも貢献するだろう。
恩恵を受ける企業もあるし、
まったく関係ない地域もある。
お盆の先取りとなってしまうだけの店も、
あるかもしれない。
しかし例外なくすべての企業と店が、
10連休のあとの反動の影響を受ける。
これは間違いない。
そして10月の消費増税へとつながっていく。
これも間違いない。
だからお目出度いけれど、
最悪を覚悟して、
最善を尽くす。
それしかない。
心は燃やせ、
頭は冷やせ。
これだ。
さて、ありがたいことに、
うれしいことに、
田村正紀先生から、
新刊本が送られてきた。
もちろん神戸大学名誉教授。
千倉書房創立90周年記念出版。
『流通モード進化論』
おめでとうございます。
最先端の学術専門書。
しかし、冒頭の「緒言」に書かれている。
「学生、企業人など流通入門後の読者が、
門内に流通についての、
総合的イメージを作り上げ、
読者各自の流通学習・調査・研究に
資することが著者の願いである」
専門書だが広く読者に読んでもらいたい。
それが田村先生の意図である。
本のタイトルでもある「流通モード」とは、
「企業における流通活動の遂行様式」。
この流通モードは3つの基本軸を持つ。
⑴どのような製品を取り扱うか
⑵誰を対象顧客とするか
⑶諸活動をどう編成して流通させようとするか
この「諸活動」には主に2つの要素がある。
「製品の実物形成・移動」にかかわる取引と、
「所有権移動にかかわる取引」である。
これらの3つの基本軸と、
2つの取引を決定することによって、
「流通モード」が決まってくる。
以下は出版社の宣伝文句。
「戦後、日本では、
様々な流通モードが盛衰した。
それは生産、消費、技術、法規制など、
流通インフラの変化を背景に、
商業やマーケティングの変容をもたらした」
「それらを統合的に理解するために
必要な流通の基礎概念と
変化のメカニズムを、
数多くの事例と共に検証・解説する」
流通理論そのものが、
この発刊によってまた一歩、
進化した。
手に取ってみてください。
読んでください。
月刊商人舎でも、再び、
議論させていただく機会をつくりたい。
静岡新聞の巻頭コラム「大自在」。
「道徳なき経済は罪悪であり、
経済なき道徳は寝言である」
二宮尊徳の「報徳思想」を取り上げた。
尊徳は江戸時代後期の人。
経済と道徳の調和を重んじた。
この教えは、
「日本の近代化」に多大な貢献をした。
1万円札の次の肖像には、
2024年度上期から、
渋沢栄一が採用される。
渋沢は「日本資本主義の父」にして、
尊徳の思想を引き継いだ経営者だ。
故倉本長治の「商売十訓」。
その第一訓が、
「損得より先に善悪を考えよ」
これもまさに、二宮尊徳の教えそのもの。
道徳なき経済は罪悪である。
まったくもって、
否定しようがない。
善悪を顧みない損得は、
それこそ尊徳に言わせれば罪悪だ。
そして法律違反ではなくとも、
人の道に外れた行いの伴う経済行為は、
絶対に長続きしない。
だからそれは罪悪であるとともに、
自滅が必須である。
一方、経済なき道徳は寝言である。
「損得より先に善悪を考えよ」
と唱えつつ、潰れていった企業や店が、
どれほどあったか。
これは寝言である。
渋沢栄一はこうも言っている。
「商売をする上で重要なのは、
競争しながらでも
道徳を守るということだ」
「金儲けを品の悪いことのように考えるのは
根本的に間違っている。
しかし儲けることに熱中しすぎると、
品が悪くなるのもたしかである。
金儲けにも品位を忘れぬようにしたい」
これは月刊商人舎1月号特集の趣旨と同じ。
「商売の品格」
さらに渋沢栄一。
「自分が信じないことは言わず、
知ったからには必ず行うという
思いが強くなれば、
自然に言葉は少なく、
行動は素早くなる」
偉大な仕事を成し遂げる者は、
偉大な仕事を成し遂げるとき、
寡黙である。
最後に一言。
「人生の行路は様々で、
時に善人が悪人に
敗けたごとく見えることもあるが、
長い間の善悪の差別は
確然とつくものである。
悪いことの習慣を多く持つ者は
悪人となり、
良いことの習慣を多くつけている人は
善人となる」
二宮尊徳は江戸時代に生きた。
渋沢栄一は江戸末期から、
明治、大正、昭和と生きた。
倉本長治は明治、大正、昭和の人。
渋沢や倉本のあとの、
平成から令和になっても、
この志を貫きたい。
〈結城義晴〉