新元号Countdownとロピア・キテミテマツドの「令和の挑戦」
Everybody! Good Monday!
[2019vol17]
平成時代の毎週月曜日、
書き続けてきて568回。
今日で569回目のGood Monday! です。
平成最後のGood Monday!
「令和」へのカウントダウンは、
あと2つ。
2019年、10日間のゴールデンウィーク。
3日目となって、祝日「昭和の日」。
昭和27年生まれとしては、
ややさみしい気もするが、
それでも昭和の日は意義深い。
この昭和の日は、
昭和天皇の誕生日で、
「天皇誕生日」の祝日だった。
1989年(昭和64年)1月7日、
その昭和天皇ご崩御。
そして今上天皇のご即位。
天皇誕生日の祝日4月29日は、
この1989年以来、
「みどりの日」という名称に改定、
祝日となった。
何度も国会審議されたが、
2007年(平成19年)から、
「昭和の日」の祝日となり、
それ以前の「みどりの日」の名称は、
同じ黄金週間の5月4日に移動した。
「国民の祝日に関する法律」、
通称「祝日法」ではその趣旨を、
「激動の日々を経て、
復興を遂げた昭和の時代を顧み、
国の将来に思いをいたす」
昭和元年は1926年。
この年の12月25日に、
大正天皇がご崩御。
クリスマス当日の逝去だった。
そして当日から昭和となって、
1926年は大正であるとともに、
昭和であるという、珍しい年となった。
私の父はこの年の12月20日生まれ。
したがって最後の大正生まれだった。
わが恩師・故壽里茂早稲田大学名誉教授も、
ペガサスクラブの故渥美俊一先生も、
そして私の母も大正15年生まれ。
みんな故人となった。
清水信次さんも大正15年。
㈱ライフコーポレーション会長にして、
日本小売業協会会長。
その大正から入れ替わった昭和は、
まさに激動の時代だった。
昭和天皇は1901年のお生まれ。
したがって25歳で天皇に即位。
若い天皇だったこともあって、
第一次世界大戦(1914年~1917年)も、
第二次世界大戦(1939年~1945年)も、
自ら見聞されたし、ご経験された。
第二次ではその主体を担うこととなった。
倉本長治先生が1899年生まれ、
ピーター・ドラッカーが1909年誕生。
あの時代の気骨のある存在だった。
それを受けた今上天皇は意志の人だ。
美智子妃殿下の影響もあるだろう。
令和天皇となられる皇太子徳仁親王は、
どんな象徴天皇となるのか。
失礼ながら、
もしかしたら雨男かしれない。
今のところ、
5月1日の天気予報は雨である。
私は36年4カ月ほど、
昭和を生きた。
そしてありがたいことに、
平成の30年間はフルに生きた。
あと1日を残すが。
編集長となり、管理職となって、
すぐに平成に入ったから、
昭和は私の誕生期から成長期にあたり、
平成は成長期から成熟期にあたる。
そして令和は明らかに、
私にとっての成熟期から衰退期。
「衰退期」とは言いたくないが。
昭和はホップ、
平成はステップ、
令和はジャンプ。
こう行きたい。
佐藤一斉の言葉。
少(わか)くして学べば、
すなわち壮にして為すこと有り。
壮にして学べば、
すなわち老いて衰えず。
老いて学べば、
すなわち死して朽ちず。
私にとって、
「少くして学べば」が昭和だった。
お陰様で、
壮にして為すこと有り、だった。
「壮にして学べば」は平成だった。
いま「老いて衰えず」に入ろうとしているか。
そして「老いて学べば」、
「死して朽ちず」。
何のために「死して朽ちず」を求めるのか。
ドラッカーの言うように、
「何によって憶えられたい」からか。
マズローの考えるように、
自己実現の欲求(Self-actualization)のためか。
あるいは老子のように、
「上善は、水の如し」の域に達するためか。
いまだわからない。
だからこそ老いても、学ぶ。
考え続ける。
私は生涯現役を貫きたい。
この心意気で生きていきたい。
いつもいつも自分に言い聞かせている。
さて今日は、午後から、
千葉県松戸市へ。
伊勢丹百貨店松戸店のあとに、
KITE MITE MATSUDOがオープン。
オーナーは合同会社松戸ビルヂング。
JR常磐線と新京成線松戸駅から、
徒歩で約3分。
この伊勢丹は残念ながら、
ダメな地方都市百貨店だ。
もともとは松戸市立中部小学校があった。
この小学校を郊外に移転させ、
三菱地所が初めて商業集積を開発。
地下2階・地上11階の店舗棟、
地下3階・地上20階の事務所棟、
あわせて7万㎡を超える施設をつくった。
オープンは、1974年4月19日で、
伊勢丹が核店舗として入居した。
昭和49年のことだ。
前年に第4次中東戦争が勃発し、
第1次オイルショックに突入していた。
伊勢丹としては、
新宿本店、立川店、吉祥寺店に次ぐ、
4番目の百貨店だった。
現在の競争状況からすると、
伊勢丹松戸店は百貨店としては、
商圏が狭すぎるし、
面積も足りないし、
ワンフロアが狭小すぎる。
2002年(平成14年)から、
73カ月の「いざなみ景気」を終えると、
売上げも上がらず、
利益も出なくなって、
昨年3月31日に閉店。
その閉店のあとに、
テナントビルのキテミテマツドが開設。
売場面積は6万2181㎡(1万8810坪)。
テナント数は最終的に約50店となる。
その地下1階に、満を持して、
ロピアが入居した。
4月13日(土)に、
グランドフロアの1階と、
地下1階全フロアを使って、
核店舗「ロピア」がオープン。
バックヤードなどを全部入れると、
3000㎡を超える。
店に行ってみると、
すぐに執行役員の柴田昇さんとばったり。
この中核店舗では初代店長を務める。
青果部門が広がった。
インショップ名は「八百物屋あづま」。
バックヤードも搬入スペースも広い。
伊勢丹が使っていたスペースを、
存分に活用した。
鮮魚部門は天井をブラックにして、
スポットライトを多用。
日本橋魚萬のブランドを付けた。
LOPIAのロゴも、
この日本橋魚萬では水色。
多面売場には丸魚や貝類。
刺身はサクしか売らない。
盛り合わせは注文して調理してもらう。
「米屋」は米のショップで、
米俵が積み上げられる。
そして惣菜の超目玉は、
店内手づくりのLOPIA Pizza。
この店では、
「肉屋のスーパーマーケット」を謳う。
肉売場は圧倒的な商品力。
そして冷凍食品に力を入れた。
この蓋をつけたドイツ型の冷凍ケースも、
ロピアの価格力で購買は落ちない。
若い顧客が多いのは、
ロピアがファミリーを、
主客層に設定しているからだ。
壁面はロピア社員の、
アーティストたちがデザイン。
売場では驚くほどの量の試食が、
次々に展開される。
開店以来、レジは混みっぱなし。
セミセルフレジを採用しているが、
顧客は引きも切らずやってくる。
セミセルフのキャッシング機能は、
サッカー台の周りに広く配置した。
チェックスタンドの向かいに、
専門店を3店配置した。
肉の「黒犇(くろほん)」は、
すべて対面売場の肉と肉惣菜。
ベーカリーショップは対面とセルフ売場。
そして「海鮮丼 魚萬」。
イートインも設置した海鮮丼の店は、
魚売場のショップと同名。
そしてこの店の隠れた実験。
高級和食店「黒泉」。
福島道夫ロピア社長と写真。
この黒泉には、メニューはない。
シェフが厳選した高級食材を、
創作料理として仕上げる。
高級な肉づくし。
シックで落ち着いた店内は、
カウンターのみ。
この黒泉のオープンが、
今日、4月29日。
私は最初の顧客として、
招待してもらった。
これでもかと、
少量の創作料理が次々に出てきて、
十二分に堪能した。
最後に感想や意見を述べておいた。
食品小売業はどんどん売っても、
顧客は一時に食べきらず、
自宅にストックすることもできる。
外食業はその「場」で、
適量を食べて満足する。
その適量より、
ほんのちょっと多めに提供するのは、
とてもお買い得になるが、
多すぎるのはサービスにならない。
かと言って適正な絞り込みは必要だが、
削り込みすぎてもいけない。
そこが一番難しい。
だから「お任せ」の名門寿司屋など、
顧客の側で「最後に握って」と、
終わりを告げることができる。
このあたり、考えてみたらいいのでは?
皆さんも一度行ってみてください。
予約が必須です。
スーパーマーケットの奥にある、
目立たないレストラン。
この事業の責任者の鈴木義和さんと、
総料理長の泉弘樹さん。
「黒泉」のブランド名は、
泉さんの名前から付けられた。
まだまだ内輪の顧客だけ受け付けて、
6月からグランドオープン。
その間にどんどんイノベーションが進む。
ロピアの新しい構想の一端がここにある。
いわば令和のロピアである。
では、皆さん、今週も、
挑戦し続けよう。
Good Monday!
〈結城義晴〉