ワールドカップラグビーの「ダイバーシティとインビクタス」
台風17号が沖縄に来ている。
そしてまた、
秋分の日の三連休にかかる。
日本は地震列島にして台風列島。
台風が三連休を直撃すると、
商売には痛手が大きい。
しかし、天気予報も精度が上がった。
台風来襲を告げられると、
人々は買い溜めに走る。
その時にいかに、
準備ができているか。
この点ではマニュアルが役に立つ。
しかし、同時に、
想像力を働かせて、
顧客の立場に立って、
店や売場をつくり、
商品やサービスを、
用意することができるか。
商売の成否は、
この「想像力」にかかってくる。
特に九州の商業に期待したい。
その九州でも3つの競技場が、
会場となっている。
ワールドカップラグビー。
福岡県福岡市では、
東平尾公園博多の森球技場。
熊本県熊本市の、
熊本県民総合運動公園陸上競技場。
大分県の大分スポーツ公園総合競技場。
ちょっと驚かされるほどのスタジアムが、
九州各地にも出来上がっている。
そしてそんなエリアで開催される。
ラグビーには他とは異なる、
立地感覚がある。
九州のほかにも、
岩手県の釜石鵜住居復興スタジアム。
埼玉県の熊谷ラグビー場。
静岡県の小笠山総合運動公園エコパスタジアム。
そして愛知県豊田スタジアム。
もちろん東京・横浜・大阪・神戸。
その開会式と第1戦は、
東京スタジアムで行われた。
日本とロシアの闘い。
松島幸太郎のハットトリックなど、
ゲームを堪能し、感動した。
フランスとアルゼンチンも、
オーストラリアとフィジーも、
ニュージーランドと南アフリカも。
いずれも世界最高の闘いは、
感動をもたらす。
私は半世紀近くも、
早明戦や早慶戦をはじめとする、
大学ラグビーのファンだが、
その面白さとはまた、
次元の異なる深淵なものを感じる。
中日新聞の「中日春秋」と東京新聞の「筆洗」
詩人竹中郁(いく)の詩「ラグビイ」を引用。
水と空気とに
溶解(と)けてゆく球(ボール)よ。
楕円形よ。
石鹸(サボン)の悲しみよ。
球(ボール)は海が見たいのです。
楕円形のラグビーボール。
コントロールしにくいものを、
あえてコントロールしようとする。
だからラグビーには謙虚さがある。
真摯さが備わる。
サッカーでは、
リオネル・メッシなど観ていると、
実に巧みに、自由自在にボールを扱う。
それはもう不遜なくらいだ。
俳人山口誓子の句。
ラグビーの憩ひ大方は立ち憩ふ
田中裕明の句。
ラグビーの選手あつまる桜の木
詩人たちもラグビーに特別の思いをもった。
そのラグビーの世界最高の祭典では、
代表選手は、国籍を問われない。
⑴出生地が日本
⑵両親または祖父母のうち1人が日本出身
⑶日本に3年以上継続して居住している
他国で代表歴がないうえに、
この3つの条件のうち、
最低1つ以上満たせば、
日本代表となれる。
しかしいったん、ある国の代表になると、
その後は、たとえ母国であっても、
もはや別の国の代表にはなれない。
違和感を感じる人も多いかもしれないが、
今回の日本代表の外国出身者は、
“ON TEAM”をテーマに掲げて、
6カ国から15人が参加。
31名中15名だ。
そしてその助っ人ラガーが、
活躍もする。
北海道新聞「卓上四季」
主将リーチ・マイケルは、
ニュージーランド生まれだが、
札幌山の手高校出身、
東海大学から東芝で活躍。
「人種に関係なく、
同じ目標に向かう姿を見てほしい」
山川徹著「国境を越えたスクラム」。
韓国ソウル生まれの具智元の言葉を紹介。
大分県の公立中学から、
日本文理大学附属高校、拓殖大学。
「ぼくがW杯でがんばることで、
韓国を好きになる日本人が増えて、
日本を好きになる韓国人が増えれば、
と思っているんです」
よく持ち出されるが、
ラグビーには「ノーサイド」の概念がある。
クリント・イーストウッドの映画。
「インビクタス」
“invictus”はラテン語。
「征服されない」「屈服しない」の意をもつ。
映画ではなんといっても、
モーガン・フリーマンと、
マット・デーモンがいい。
フリーマンはマンデラ首相、
デーモンがキャプテンのフランソワの役。
アパルトヘイトの南アで、
代表チームは人種の壁を乗り越え、
ワールドカップ優勝を勝ち取る。
南アは国家そのものが、
「ノーサイド」の精神を体現している。
それぞれのサイドで闘うが、
終われば敵も味方も区別はなくなる。
それが「ノーサイド」の意味だ。
日本と韓国も、
アメリカと中国も、ロシアも、
イギリスとドイツ、フランスも、
「多様性を認めつつ、一丸となって闘う」
ラグビーの志を学ばねばならない。
もちろん日本代表の多様性も楽しみたい。
だがダイバーシティのエッセンスは、
すべての試合に認められるに違いない。
そして私たちの商売も、
ダイバーシティとノーサイドの精神で、
新時代を切り拓くのだと思う。
〈結城義晴〉