天皇誕生日に大平正芳の「お手伝いの役割を超えてはならない」
天皇誕生日の祝日。
仙台駅のアンパンマン。
今年からこの祝日は今日2月23日。
初めての令和の天皇誕生日。
明日が振り替え休日の三連休。
明治天皇は、
1852年11月3日生まれ。
そこで11月3日が「天長節」と呼ばれ、
天皇が誕生した日の祝日となった。
現在、この日は文化の日だ。
大正天皇は、
1879年8月31日生まれで、
天長節は8月31日、
途中から10月31日に変更された。
昭和天皇は、
1901年4月29日生まれで、
戦前は天長節、
戦後の天皇誕生日は4月29日となり、
ゴールデンウィークの中の1日だった。
現在は昭和の日の祝日。
平成天皇は、
1933年12月23日生まれ。
そこでクリスマスイブの前日が、
天皇誕生日の祝日とされた。
そして今上天皇は、
1960年2月23日生まれ。
今日は最も「新参」の祝日。
その初めての天皇誕生日に、
今上天皇が記者会見でコメント。
しかも今日が還暦。
「日本国憲法は、
日本国および日本国民の象徴として、
天皇について定めています。
憲法を遵守し、
象徴としての務めを誠実に
果たしてまいりたいと考えております」
日本国憲法の遵守を強調。
「多様性に対して私たちは、
寛容の心を持って
受け入れていかなければならないと
常に思ってきました」
ダイバーシティの時代だ。
「もう還暦ではなく、
まだ還暦という思いでおります」
私も還暦のときは同じ気分だった。
素晴らしいコメントだったと思う。
さて日曜日だから、
「政治ネタ」(笑?)〈てっちゃん流〉
朝日新聞「折々のことば」
第1736回。
「政治はあくまで
“お手伝い”の役割を
超えてはならない」
(日本政治史家・福永文夫)
その著『大平正芳』の中で語る。
「この元首相の信念はここにあった」
大平は社会をコーラスに喩(たと)える。
「社会の秩序は国民が
みずから闘いとるものであり、
そのために国民は
家庭や地域での生活にまで立ち戻り、
それぞれの場所から
このコーラスに参加すべきで、
政治の仕事はまさにその支援にある」
論理で突き詰めると、
ここに至る。
その通りだ。
大平正芳は好きな政治家だった。
1910年(明治43年)~1980年(昭和55年)。
池田勇人、佐藤栄作の長期政権のあと、
「三角大福」と呼ばれる時代がやってきた。
その「大」が大平正芳。
三は三木武夫、
角は田中角栄、
福は福田赳夫。
内閣総理大臣になった順番は、
第64代・65代の田中、
66代の三木、67代の福田、
そして第68代・69代の大平。
東京商科大学(現、一橋大学)卒業後、
大蔵省入省。
池田勇人首相の秘書官を経て、
政界に進出。
池田の派閥「宏池会」会長として、
派閥の長となり、
三角大福中の一角に食い込んだ。
4人の中では最後に総理となって、
選挙中に首相在任のまま死去。
本当に惜しかった。
「アーウー宰相」と言われて、
発言のとき「アー」「ウー」を連発した。
しかしアーやウーに続く内容は、
見事な文章となっていた。
自ら執筆する文章も達人だった。
キリスト者であり、大変な読書家だった。
「戦後政界指折りの知性派」だった。
このあたりも好きだなあ。
中日新聞の巻頭コラム。
「中日春秋」
社会学者マックス・ウェーバーを引用。
名著『職業としての政治』から。
「情熱と判断力の
二つを駆使しながら、
堅い板に…穴を
くり貫(ぬ)いていく作業」
大平正芳はまさにそれだった。
コラムニスト。
「クルーズ船の
検疫に関する一連の対応など、
新型肺炎のニュースを見て
思い起こしてきた一節である。
危急の際、判断する力こそ、
政治家に求められる資質であろうと
再認識させられる」
いま、大平正芳のような政治家は、
全然、見当たらない。
残念だ。
国民は、顧客は
家庭や地域での
生活にまで立ち戻り、
それぞれの場所から
このコーラスに参加する。
政治家も商人も、
仕事はまさに
その支援にある。
そのお手伝いの役割を、
超えてはならない。
「売ろう、売ろう」が過ぎると、
「利益を上げよう、上げよう」が過ぎると、
お手伝いの役割を超えてしまう。
〈結城義晴〉