「行ってきまーす」の明日への希望
「ほぼ日」の糸井重里さん。
巻頭エッセイは「今日のダーリン」。
「みんなが”その場を動かないで”
と言ってるときに、
動かなくてはならない人がいる」
これをテーマに歌を創ろうとした。
もちろん作詞担当で。
そこで病院に行くお母さんが出てくる。
「家のなかにいるこどもに
“行ってきまーす”と言って、
出かけようとしている女性」
「こどもたち 行ってきます
いいこでいてね」
そんな一行をノートに書きつける。
「この人はどこへ行くのかといえば、
仕事場に行くのだ。
最初のイメージでは、
その仕事場とは病院だ」
「そして、その人にも、
同じようにこどもがいたりする。
さらには、その、
病院に向かうおかあさんに代わって、
こどもを世話してくれる
保育士さんがいる。
そして、その保育士さんにも
こどもがいて…。」
「みんな、いちばん大切な
かわいいこどもに、
せいいっぱいの笑顔を向けて、
“行ってきまーす”
と言ってるのだろう」
同じように、
物を運ぶトラックの運転手さん。
鉄道の線路の保守点検をしている人たち。
デリバリーの食事をつくっている人。
「そういう人たちと、
そのこどもたちのことを想像した」
いい話だ。
糸井さんの歌が完成することを祈りたい。
私もこの発想から、
イメージが広がった。
春キャベツ。
農業を営む若いお父さんとお母さん。
秋に種を撒いて、
春に収穫する。
内部まで黄緑色を帯びて、
みずみずしくて、
味のよい春キャベツが育つ。
それを収穫する。
朝、子どもたちに、
「行ってきまーす」と言って、
畑に出かける。
子どもたちは、
学校が休校だから、
うちにいる。
二人して一所懸命収穫する。
そのキャベツ。
軽トラックに積んで、
契約しているスーパーマーケットにもっていく。
お店の入り口に、
「産地直送」の売場がある。
そこにキャベツを並べる。
お店では店長さんがやって来て、
にこやかに挨拶してくれる。
その店長さんも、
朝、うちを出るときに、
子どもたちと奥さんに、
「行ってきまーす」
若いチーフも、
パートタイマーさんも、
キャベツの売場にやってきて、
「ありがとう」と声をかけてくれる。
若いチーフは、
朝、うちを出るときに、
お父さんやお母さんに、
「行ってきまーす」
パートタイマーさんも、
うちを出るときに、
子どもたちに、
「行ってきまーす」
そうやって、
産地直送の売場ができる。
新型コロナが感染拡大していても、
全員がマスクをして、
手洗いをして、
体温を測って、
仕事する。
売場にはお客さんがやって来る。
そのお客さんも、
うちを出るときに、
家族に言う。
「行ってきまーす」
こうして、
キャベツは収穫され、
運搬され、
売場ができて、
家庭に届けられる。
キャベツだけではない。
お魚もお肉も、
お惣菜も、
牛乳も卵もパンも、
菓子も加工食品も、
ドリンクも。
それぞれに「行ってきまーす」と、
朝、うちを出て、
働いた人たちの成果として、
生産され、製造される。
それを運ぶのが、
問屋さんや物流会社の人たちだ。
この人たちも家族に、
「行ってきまーす」
店に着いたら、
部門ごとに荷受けをして、
バックヤードに運び、
売場に陳列する。
みんな「行ってきまーす」と言って、
うちを出て、働いている。
在宅勤務はできない。
テレワークやリモートワークと言われる。
けれどそれができない仕事こそ、
いま、とても大切だ。
だからこそテレワークできる人たちは、
全員が徹底的にそれをやって、
一刻もはやく、
感染拡大を抑えたい。
いま、このときこそ、
一つひとつの仕事の大切さが、
実感される。
仕事こそが、
コロナウイルスと闘う時の、
私たちのよりどころになると思う。
礎になると思う。
その真剣さを見ていた子どもたちが、
真剣に考えて、
将来、自分の仕事を選ぶ。
それが私たちの未来だ。
小さな喜び、
ささやかな幸せ、
明日への希望。
それが「行ってきまーす」である。
〈結城義晴〉