結城義晴独白「商人よ、正人であれ」
私たちは、
こと、仕事に関して、
いつも、
絶対に、
正しくなければならない。
私はそう考えている。
個人の生活は、自由でよろしい。
もちろん、法律を犯すことは、
よろしくないけれど。
政治も、
宗教も、
趣味も、
哲学も、
生き方も、
いろいろあって、
よろしい。
一人ひとり、
違わねばならない。
すべての人が
聖人君子であるはずはない。
私は無宗教であるし、
特別な支持政党も持たない。
趣味は、なんにでも興味を示す、「なまくら派」である。
学生のころから、坂口安吾に魅せられた「無頼派」である。
酒を飲むと、後悔ばかりの醜態を演じ続けてきた。
時には唯我独尊のわがままだったかもしれない。
人を傷つけることもあったに違いない。
ここで許しを乞うても仕方がないほどだ。
しかし、
ものを書き、
ものをつくり、
ものを売ることに関しては、
「正義」を貫いてきた。
仕事は、社会のためにあるからだ。
会社や店は、世の中のため、
お客様のためにあるからだ。
人生の分岐点において、
必ず、自分が、損をする道を選んできたという人がいる。
同じく、人生の分かれ道で、
常に、困難なほうを選択してきたという人がいる。
どちらも優れた人だ。
強い人だ。
自分にとって、損な道。
自分にとって、難しい道。
私には、そんな判断をする自信がない。
けれど、私は、
なんとしても、
仕事に関して、
正しい道だけは、
歩まねばならないと思う。
誰もが天職を見つけ、
商売においては、
正義を貫かねばならないと考える。
それが
商人よ、正人であれ、の意味である。
商い人よ、正しき人であれ、の本質である。
ビジネスマンのジャスティスである。
商人である前に、人間であれ、の真実である。
私たちは、
こと、仕事に関して、
いつも、
絶対に、
正しくなければならない。
私はそう考えている。
個人の生活は、自由でよろしい。
もちろん、法律を犯すことは、
よろしくないけれど。
政治も、
宗教も、
趣味も、
哲学も、
生き方も、
いろいろあって、
よろしい。
一人ひとり、
違わねばならない。
すべての人が
聖人君子であるはずはない。
私は無宗教であるし、
特別な支持政党も持たない。
趣味は、なんにでも興味を示す、「なまくら派」である。
学生のころから、坂口安吾に魅せられた「無頼派」である。
酒を飲むと、後悔ばかりの醜態を演じ続けてきた。
時には唯我独尊のわがままだったかもしれない。
人を傷つけることもあったに違いない。
ここで許しを乞うても仕方がないほどだ。
しかし、
ものを書き、
ものをつくり、
ものを売ることに関しては、
「正義」を貫いてきた。
仕事は、社会のためにあるからだ。
会社や店は、世の中のため、
お客様のためにあるからだ。
人生の分岐点において、
必ず、自分が、損をする道を選んできたという人がいる。
同じく、人生の分かれ道で、
常に、困難なほうを選択してきたという人がいる。
どちらも優れた人だ。
強い人だ。
自分にとって、損な道。
自分にとって、難しい道。
私には、そんな判断をする自信がない。
けれど、私は、
なんとしても、
仕事に関して、
正しい道だけは、
歩まねばならないと思う。
誰もが天職を見つけ、
商売においては、
正義を貫かねばならないと考える。
それが
商人よ、正人であれ、の意味である。
商い人よ、正しき人であれ、の本質である。
ビジネスマンのジャスティスである。
商人である前に、人間であれ、の真実である。
〈結城義晴〉