「八月の終わり」の妙な切なさと「浮世のこともみな〆切主義」
8月29日。
物心ついてからずっと、
8月の終わりには、
妙な切なさを感じる。
退任表明した安倍晋三さんも、
この切なさを感じているに違いない。
小学校から中学・高校まで、
8月の終わりごろは必ず、
夏休みの宿題に追い詰められた。
そのころから私の信条は、
「追い詰められること」
深夜まで宿題に取り組んでいると、
本題の宿題よりも、
詩集をめくったり、
小説を読みふけったり、
時には哲学書を紐解いたりした。
そこで「妙な切なさ」の中にたゆたう。
それが習慣になった。
高校一年から友達に誘われて、
同人誌に入会した。
名称は『ひこばえ』といった。
1年に何度か、作品を発表する。
その手書き原稿が、
一冊の同人誌として製本される。
それを回覧して、
仲間の同人の詩や小説を読む。
大学生になってからは、
早稲田大学童謡研究会に入って、
西條八十や北原白秋、野口雨情を、
研究したりしながら、創作に励んだ。
西條八十先生は、
この童謡研究会の創立者だ。
日本のわらべ歌にも、
イギリスのマザーグースにも、
興味をそそられた。
まど・みちおや阪田寛夫、
サトウハチローや谷川俊太郎、
そして井上ひさしを目指した。
私は作詩と作曲をした。
だから吉田拓郎の「夏休み」、
井上陽水の「少年時代」、
荒井由美(当時)の「ヒコーキ雲」などにも、
大いに刺激された。
毎週、「さぶるこ」という合評誌を、
ガリ版印刷して全員に配った。
誰かは知らないが、
先輩が命名した習作誌は、
「遊女(さぶるこ)」と呼ばれた。
それをまとめて、
作品集「遊創」を編集した。
さらに作品を厳選して、
「早稲田童謡」を発表した。
㈱商業界に入社して、
社会人になってからは、
一転、ビジネス誌の編集に携わった。
以来、43年間、
原稿を書き続けている。
原稿はどんどん長くなってきた。
二番目の上司の高橋栄松編集長は、
「長いものを書け」と叱咤激励してくれた。
編集長になってからは、
特集の巻頭論文やルポ記事などのほかに、
月刊誌の巻頭言を書き始めた。
若いころの手習いによって、
私の巻頭言は詩のようになる。
「私の好きな人」
笑顔の人。
はっきりとした人。
晴れやかな人。
機敏な人。
元気な人。
清潔な人。
素直な人。
明るい人。
意欲ある人。
勇気ある人。
正義の人。
まっ正直な人。
優しい人。
耐える人。
辛抱強い人。
太っていても、やせていても。
大きくても、小さくても。
若くても、老いていても。
男でも、女でも。
日本人でも、外国人でも。
豊かでも、貧しくても。
心の力を持つ人。
頭の力のある人。
言葉の力を有する人。
私の好きな人。
ほんものの商人。
素晴らしい人間。
〈拙著『Message』から〉
指折り数えてみると、
私が何かを書き続けて51年間。
この間、一貫しているのは、
「〆切主義」
つまり締め切り間際に、
集中力を高めて書き上げる。
そして書き終わると、
どこかに切なさを感じる。
コラムニストの故山本夏彦さんの名言。
「まことに世は〆切」
山本さんは月刊誌「木工界」の創刊者で、
商業界と同じ印刷所を使っていた。
山本さん曰く。
「何も原稿のことばかりではない。
浮世のことはすべてそうだ」
ブログを書き始めてから、
私には毎日、毎週、毎月、
〆切だらけ。
自らに〆切を課す。
その〆切の頻度が高まれば、
大量に書ける。
大量に書いていると、
文章の質も高くなる。
「締め切りに焦ってこしらえた原稿は、
不出来なことがある」
作家の村上春樹さんは、
「〆切主義」を否定する。
村上さんはマラソンランナー型だ。
毎日、コツコツと書き続ける。
「一日、十枚書くとそこでやめる」
私には、それはない。
夏休みの宿題と同じ「〆切主義」
そして締め切りに追われて書くと、
私には良いものが創作できる。
もちろんあとからの推敲は必須だ。
ただし時間が迫っても、
絶対に手を抜かない。
マイクロソフト創業者のビル・ゲイツも、
同じようなことを言っている。
「なんでもギリギリにすると、
一番スピードが上がって効率がいい」
これを知って、
私はちょっと安心した。
作家の故井上ひさしさんは、
自ら「遅筆堂」を任じた。
「筆が遅い人」である。
その井上ひさしさんの挽回策の一つ。
「良い本を書き上げ、
内容のよさで遅れを勘弁してもらう」
私も全くの同感。
そして、書き終わると、
「妙な切なさ」を感じる。
八月の終りのながきてがみかな
〈星野麥丘人『雨滴集』より〉
星野麥丘人(ほしの ばくきゅうじん)は、
1925年~2013年の俳人。
俳句誌『鶴』の主宰者。
八月の終わりの長い手紙にも、
妙な切なさは感じられたに違いない。
〈結城義晴〉