文化の日の「書物自体の物語」と米国の「フェイク」の価値観
文化の日の祝日。
11月3日はもともと、
明治天皇の誕生日だった。
「天長節」あるいは「明治節」と呼ばれ、
祝日だった。
戦後の1946年11月3日に、
日本国憲法が公布された。
憲法が施行されたのは、
半年後の翌1947年5月3日。
この日が憲法記念日の祝日となった。
さらに翌1948年、
日本国憲法公布の日が、
文化の日となった。
祝日法が定めるその趣旨。
「自由と平和を愛し、
文化をすすめる」
今の世界では、
自由はちょっと危ういか。
世界中を見渡すと、
平和に関してもちょと心配だ。
それでもわが日本は、
いい国だ。
文化は日本独特のものがあって、
私たちにはそれを「すすめる」役目がある。
そんなことを思いながら、
一日を過ごしたい。
今日は商人舎オフィスに出て、
月刊商人舎11月号の仕事。
原稿書きと編集。
朝日新聞「折々のことば」
第1983回。
鷲田清一さん編著。
書物(紙の器)は
それ自体が物語なのだ。
(古書店主・エッセイストの内堀弘さん)
「どういう人たちの手を伝って
この本がここに……と
推し量りたくなる本が古書店にはある」
内堀弘著『古本の時間』から。
「造本に込めた思いや献辞など、
その一冊にしかない佇(たたず)まいに
こだわる愛書家の、
それを手放す際の心のもつれを
つい想像させる」
「グリーティングカードのように薄い冊子」
その一冊にも、
「書物文化の豊穣(ほうじょう)は映って」いる。
「豊穣」とは穀物が実り、豊かなこと。
「書物文化の豊穣」は、
書物に豊かな文化があること。
そして、
「どうしてもと注文してくる人がいる」
これが書物の文化だ。
書物はそれ自体が物語である。
月刊商人舎の雑誌づくりにも、
私はそんな思いを込めている。
今日もそんな気持ちを込めて、
原稿を書いて、編集した。
日経新聞電子版「経営者ブログ」
㈱IIJ会長の鈴木幸一さん。
「金細工師のグーテンベルクの
活版印刷術という技術革新は、
その結果として
たくさんの書物の出版を可能とし、
人々の知識欲を満たし、
新たな歴史をつくった」
グーテンベルクの印刷機は、
中世のペスト「黒死病」が、
発明の母となって生まれたものだ。
鈴木さん。
「言うまでもなく、
ルネサンス、宗教改革から
近世社会にいたる歴史は
グーテンベルクの活版印刷の
技術が推進したのである」
印刷技術が文化を変えた。
鈴木さんはインターネットを、
「活版印刷以来という技術革新」とする。
さて今日の日本の文化の日は、
アメリカの大統領選挙の前日。
世界が固唾を飲んで見守る。
もうすでに期日前投票が、
1億票近くも集まった。
前回の7割くらいが期日前に投票された。
きちんと開票されれば、
民主党ジョー・バイデン候補が勝ちそうだ。
しかしそれでもどうなるかわからない。
USAのdemocracyはどこへ行く。
そしてアメリカ合衆国の文化は、
どんなふうに変わるのか。
鈴木幸一さんもブログの中で、
米国大統領選に関して書く。
「前回の大統領選挙で、
トランプ氏という人物が
大統領に選ばれたこと自体、
私には卒倒するような驚きだった」
同感だ。
「トランプ政権が4年近く続いた今、
米国という国そのものが、
変わってしまったのであり、
現在の米国で、トランプ氏が
大統領に選択されるのは、
不思議なことでもないのだろうと、
思うようになった」
これにも、あきらめに近い気分で、
同感しなければならない。
「トランプ氏は、
メディアなどあらゆる批判に対し、
“フェイク”だと切って捨てる」
しかし、
「トランプ氏が繰り返し発する
この言葉に慣れてしまうと、逆に、
トランプを批判する報道や言葉も、
なにもかもが別の側からの
フェイクではないかと、
疑ってしまう。
米国の基盤そのものが
変わってしまったのではないかと」
これにも同感だ。
アメリカ人の価値観が変わりつつある。
「真実とされる言葉も、
見方を変えると、
すべてがフェイクと
言い直せるのではないか
という気になってしまう」
「”フェイクだ”という反論は、
あらゆるメディアが発信する言葉や主張、
事実とされる現象すら、
一方の側からみれば、
ぬけぬけと”フェイク”だと、
主張されるかもしれないのだ」
そう、事実すらぬけぬけと、
「フェイク」と言い切る。
しかしそれでは、
対等な話し合いにならない。
コミュニケーションにならない。
議論にならない。
議会制民主主義にならない。
アメリカからその文化が、
消え失せようとしている。
言葉がない。
〈結城義晴〉