「神の技・神の手」を持つマラドーナの訃報と”現役50年時代”
東京都は今日、
570人。
年代別に見ると、
10歳未満が14人、
10代が33人で、
20代147人、30代が120人。
40代が76人、50代が67人。
60代が47人、70代が39人、
80代が22人、90代が4人。
そして100歳以上が1人。
20代の147人と30代の120人を足すと、
46.8%を占める。しかし60代以上も19.8%となる。
3日前の検査数は9792件。
これも最多ではある。
月ごとの感染は11月が今日までで8567人。
8月の8125人を上回って、これも最多。
全国は夕方18時までの統計で2523人。
重症者は435人で25人増えた。
集中治療室や人工呼吸器で、
治療を受けている患者。まだまだ酷くなりそうだ。
昨日のブログのエマニュエル・トッド。
今持つべき目的は、
何か素晴らしいことを
しようというのではなく
酷(ひど)すぎる状態に
なってしまうのを
避けることです。
さて、マラドーナ。
一昨日の11月25日に逝ってしまった。
アルゼンチンのスーパースター。
Diego Armando Maradona。
1960年10月30日生まれ。
1986年のメキシコワールドカップで、
母国を二度目の優勝に導いた。
90年のイタリア大会でも準優勝に貢献。
とくに目に焼き付いているのが、
86年の準々決勝。
相手はイングランド。
1人でディフェンダーを5人抜き去って、
スーパーゴール。
その直前にはゴールキーパーと競り合って、
「ゴッドハンド」でシュートを決めた。
つまり「手」を使ったゴール。
マラドーナ自身は故意のハンドを否定したが、
ビデオを見るとばっちり映っている。
そしてレフリーもゴールを認めてしまった。
マラドーナは発言している。
「あれはイングランド人の懐から、
財布を盗み取ったような気分だったね」
マラドーナならではという、
「神の技」と「神の手」だった。
現在のアルゼンチンのヒーローは、
もちろんリオネル・メッシで、
よく比べられる。
悪童のマラドーナに対して、
クールな優等生風のメッシ。
アルゼンチン人は、
この2人くらいしか知らない。
1992年から2006年まで、
私はパリで開催される国際食品展示会で、
ヒット商品コンクールの国際委員をやっていた。
「シアル・ドール」
その専門委員に、
アルゼンチンから一人、
ちょっと老けたジャーナリストが来ていた。
スパイン語しか話せないヘクター。
私は彼を「マラドーナ、マラドーナ」と呼んだ。
ちょっとうれしそうだった。
だからよく考えてみると、
アルゼンチン人は3人知っている。
しかしアルゼンチンの英雄も、
心臓発作で早世してしまった。
60歳だった。
ご冥福を祈りたい。
さて日経新聞経済コラム「大機小機」は、
「”現役50年時代”どう向き合う」
コラムニストは茶柱さん。
「日本全体で見て2021年は
高齢者の働き方が変わる
大きな節目の年になる」
そうだろう。
企業には65歳までの雇用確保が、
義務づけられている。
「来年4月以降は、従業員が望めば、
70歳まで働けるようにする努力義務を負う」
継続雇用期限を70歳まで延ばしたり、
70歳まで業務委託契約を結んだりする。
小売業にも多い。
定年そのものを廃止・延長する企業も増える。
コラムニスト。
「サラリーマンにとっては、
“現役50年時代”の本格的な幕開けとなる」
20代前半から70歳前半まで。
「働きたい」なら、「働ける」なら、
できるだけ長く働いてほしい――。
「ではサラリーマンは、
現役50年時代に、
どう向き合えばいいだろう」
コラムニストの結論。
「1つのポイントは
定年から70歳までのおおむね10年、
つまり60代を前向きに働けるかだ」
「同じ企業で働き続けるのか、
副業に励むか、独立するか」
「いずれにせよ”その時”に備えて
40代、50代のうちから
専門性を身につけておくことが
大事になるだろう」
どうだろうか。
60代を現役で過ごすために、
40代、50代に専門性を身に着ける。
それは本末転倒だと思う。
目いっぱい仕事したら、
自ずと専門性が身につく。
さらに誰よりも精進したら、
模倣困難な専門性が備わって、
60代だろうが、
70代だろうが、
80代だろうが、
仕事は向こうからやってくる。
私はそう思ってやってきた。
小売業、流通業、サービス業には、
とくに60代で働く余地がふんだんにある。
それが「いい仕事」であるということだ。
江戸の儒学者・佐藤一斉の「言志四録」。
少(わ)かくして学べば、
すなわち壮にして
為すこと有り、
壮にして学べば、
すなわち老いて衰えず、
老いて学べば、
すなわち死して朽ちず。
「現役50年時代」は、
「壮にして学べば、
すなわち老いて衰えず」だろう。
私は68になったから、
その真っ只中ということになる。
マラドーナは残念ながら、
60代を生きることなく、
逝ってしまった。
もちろんマラドーナは、
老いて衰えずだったが、
死して朽ちずでもある。
コラムニスト。
「現役最後の10年間に
一人ひとりがどれだけ輝くか、
その総和が少子高齢化の日本の国力を
決定的に左右することにもなる」
「神の技」に「神の手」で合掌。
〈結城義晴〉
2 件のコメント
本日の記事を感慨深く読ませて頂ききました。
若いころは60歳定年というものは遠い未来のことで自分には無縁の世界だと思っていましたが、いざこうして定年という現実を迎えてみると、いろいろな想いが込み上げてくるものですね。
そして今日の記事にあるように60歳からの10年を如何に前向きに走れるかという問い。
そして今想うのは、40代50代をがむしゃらにそして前向きに走ってきた結果、ようやく多少の自らの未来が少し鮮明に見えてきたということでしょうか。しかしそれは40代で明確な目的をもって進んできたかというとそうではなく、ただ漠然とお客様を向いて売る楽しさと売れる喜びを追及してきた結果の向こうに見えてきた姿なのだろうと思います。そして気が付けば周囲には同様の気概をもつ方々が自分を取り囲んでいる。そしてそんな仲間達を今後も追い求めていきたいと考えております。
てっちゃん、ご投稿感謝。
「40代50代をがむしゃらに
そして前向きに走ってきた結果、
ようやく多少の自らの未来が
少し鮮明に見えてきたということでしょうか」
その通りですね。
むしろ、これまでが準備段階で、
これからが本番かもしれません。
楽しみですね。