「隷従と献身」のすり替えと「おひとりさま消費」の精神の自由
一月、往ぬる。
二月、逃げる。
もう2021年のキャズムの1月も終わる。
商人舎オフィス裏の遊歩道。
朝日新聞「折々のことば」
第2066回は一昨日の1月28日版。
ものと直接
向かいあうことは、
精神を自由にする。
(シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵(おんちょう)』から)
「自分の活動とその結果のあいだに、
自分のあずかり知らぬ意志が介在する」
「それが奴隷状態である」
「この隷従の構造が
抗(あらが)いえないものになると、
人は強制された事態を
自発的に選んだ事態とみなし、
隷従を献身にすり替える」
隷従が献身にすり替えられることは、
断じて避けねばならない。
それを回避するには、
「もの」と「直接」、向かい合うことだ。
ただし、編著者の鷲田清一さん。
「ものとじかに向きあうその一歩は、
よほど周到な注意と準備がなければ
踏みだせない」
シモーヌ・ヴェイユは、
1909年生まれ、1943年没。
フランスの教師、工場臨時工、組合活動家、
そして思想家、哲学者。
34歳で亡くなった天才。
自ら食を断って死を選んだ。
生まれはピーター・ドラッカーと同じ年。
カール・マルクスの共産主義も、
アドルフ・ヒトラーの全体主義も、
見事なほどに批判し、
その切り口は現在にも生きる。
白樺派の作家・武者小路実篤に、
『真理先生』という長編小説がある。
主人公は60歳を超えた老人で、
真理とは何かを考え、説く人物。
その真理先生が敬愛するのが、
「馬鹿一」と呼ばれる無名の画家だ。
ひたすら石や雑草などを描き続ける老人。
真理先生は彼を「石かきさん」と呼ぶ。
金もないし、才能もない。
自分の描く画に関すること以外、
何も関心を持たない変わり者。
雨ニモマケズ 風ニモマケズ
慾ハナク 決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
宮澤賢治の「雨ニモマケズ」
真理先生の馬鹿一も、
賢治の雨ニモマケズも、
シモーヌ・ヴェイユの思想に通じる。
それこそ「精神の自由」である。
新型コロナウイルス禍の今、
「精神の自由」は、
失いたくない。
失ってはならない。
自分が成した仕事と、
その結果や成果のあいだに、
自分のあずかり知らぬ意志が介在する。
これが「奴隷状態」である。
この構造に対して抵抗できなくなると、
人間はこの強制された事態を、
自分で選んだ事態と錯覚するようになる。
それが「隷従」と「献身」の混同であり、
「すり替え」である。
一昨昨日の日経新聞。
「おひとりさま消費」に勢い
「飲食や宿泊、娯楽などのサービス消費を
1人で楽しむ消費者が増えている」
もちろんコロナ禍中の現象。
「飲食店の来店者数は
前年を大きく下回る一方、
1人での利用は最大2割増え、
カラオケや宿泊でも1人客が好調だ」
㈱テーブルチェックは、
飲食店の予約・顧客管理をする。
その調査では、
1人での来店者数が、
昨2020年10月から前年比プラスが続く。
逆に3人以上のグループ利用は、
感染拡大以降マイナスが続く。
カラオケのビッグエコー。
利用者のうち1人客の割合。
感染拡大前の昨2020年1月と、
感染第三波直前の11月を比べれば、
10カ月間で8~9ポイント上昇した。
ビッグエコーは17年4月から、
「テレワークプラン」を始めた。
その売上高は20年2月が過去最高だった。
しかし10月には、
なんとその2月の7倍を記録。
このプランは1人での楽器演奏や、
オンライン飲み会の参加にも利用できる。
内閣府のサイト「V-RESAS」。
宿泊データがわかる。
利用者分類で宿泊者数の前年比を見ると、
「1人」が「全体」を上回って推移している。
8月や10月には1人が全体より、
10ポイント以上高い週が続いた。
もともとコロナ禍前から
「おひとりさま消費」の市場規模は、
大きいうえに、拡大傾向にあった。
矢野経済研究所の20年5月の調査。
19年度の1人利用の市場規模の見込み。
外食で7兆9733億円、
カラオケで470億円。
それぞれ15年度から前年比プラスが続く。
そして日本フードサービス協会の推計。
19年1~12月の外食全体の市場規模は、
26兆439億円だった。
単純比較はできないが、
1人での利用の約8兆円は、
全体のおよそ3割を占める。
「おひとりさま消費」は
キャズムの期間が終わって、
ポスト・コロナの時代となっても、
減ることはない。
小売業もサービス業も、
業態ごとにフォーマットごとに、
「おひとりさま消費」を、
視野に入れておくべきだ。
現代人は孤独だからである。
それでも隷従と献身を、
すり替えられてはならない。
精神の自由を、
失ってはいけない。
失いたくはない。
〈結城義晴〉