磯見精祐さんを悼む
10月23日、12時から、
磯見精祐(いそみまさすけ)さんの告別式が、
執り行われました。
鎌倉、浄土宗の名刹「長谷寺」。
ここは磯見家の菩提寺で、代々のお墓があります。
秋晴れの、すっきりとした日。
磯見さんは、最後まで磯見さんでした。
76歳とはいえ、現役の執筆者が逝去されることは、
極めて珍しい。
お亡くなりになる前の日にも、
論理的に、整然と、お話されたとかで、
磯見さんならでは、と感心させられました。
今後も、ずっと健筆を振るって欲しかった。
私は、本当にそう思いました。
慶応大学を卒業され、東宝入社。
奥様のたま子さんは、その東宝の女優さんでした。
その後、流通業界へ転進され、
グリーンスタンプ、西友ストアー(当時)、ユニーで要職を歴任。
ダンディーで、ヒューマニストで、正義感が強い読書家・批評家。
ニコニコ微笑みながら、ズバリ、言うことは言う。
とりわけ経営トップには辛口。
西友時代、ずっと磯見さんの上司で、
尊敬の的だったはずの故上野光平先生は、
63歳で逝かれました。
西友の実質的な創業者。
初期のチェーンストアで、
ビッグになった企業の中の、
最初の専門経営者。
そして流通産業研究所所長・理事長。
類まれなる文章家・読書家。
その最後の病床。
上野さんは、語りました。
「わたしは少しもたじろがない、
たとえ死が訪れようとも、
やりたいことはやった、
これだけやらせてもらって
幸せだった」
磯見さんは、
上野光平を追い続けていました。
死の床でも、
上野さんの「少しもたじろがない」という言葉を、
噛み締めていたに違いありません。
私が、磯見さんと再会したのは10年ほど前だったと思います。
磯見さんが、現役引退され、
㈱商業界会館をお尋ねくださったのです。
以来、ほぼ毎月1回、商業界会館3階クラブ室で、
2時間あまりのディスカッションの時間を共有してきました。
そして、自然に磯見さんは経営評論家として、
商業界が発刊する雑誌の常連執筆者となっていったのでした。
その間、磯見さんは、
杉山昭次郎先生を座長とする「杉山ゼミ」を興し、
自ら事務局長の役目を担ってくださいました。
このゼミから『ヤオコー・スタディ』という未刊の労大作も誕生しました。
現在は、「商業経営問題研究会」となって、
毎月1回の研究会が開催されています。
今後は、ユニー時代の後輩の高木和成さんが、
磯見さんに代わって、
この会を継続発展させてくださいます。
磯見さんの研究対象は、チェーンストアのマネジメント。
磯見語録。
「企業は、目的達成のために人の働きが組織化されたものであり、
人の働きの動因は『仕事のやりがい』であり、
その源泉は組織行動目標への共感である」
私は、磯見さんから、
「マス・カスタマイゼーション」の概念を教わりました。
それを、私は苦心惨憺のうえ、
「特定多数のマーケティング&マネジメント」と名づけました。
さらに、この概念が、商品面では、
「コモディティとノンコモディティ論」へと発展しつつあります。
いわば、私のライフワークの一つに啓示を与えてくださった人こそ、
磯見さんなのです。
磯見さんからの、私宛の最後のメール。
「結城義晴様
われわれの間で話し合っているうちに
『結城さんに感謝する会』になりました。
結城さんのことですから、
業界団体、大企業を網羅する『結城さんを励ます会』が
開催されると思っておりますので、
われわれはまずささやかでも、
われわれの気持ちをあらわす『感謝の会』にしようということにしました。
その日取りはこれまでのやり取りで
10月19日(金)にさせていただくことにしました」
(2007年9月27日 16:25)
磯見さんのご入院で、この会は延期となりましたが、
最後まで、そのことを気にかけてくださったようで、
私への書きかけのお手紙が、絶筆となりました。
そして「感謝の会」予定の日の翌日、
磯見さんは、逝かれたのでした。
ご冥福をお祈りします。
私はご霊前に誓いました。
いつか、磯見さんのスタイルで、
私が唱えている「商業の現代化」を論理化することを。
合掌。
<結城義晴>