髙島屋創業記念広告と「若いときは力・年をとったら技術・最後は頭」
今朝の朝刊の二面ぶち抜き広告。
朝日新聞、日経新聞などに掲載された。
「誰が想像しただろうか。
きょう1月10日は、髙島屋の創業記念日です。」
とある。
写真は大正5年、今から96年前。
京都・烏丸の髙島屋呉服店の前に、
蝶ネクタイをした大番頭はんから、
正座した丁稚どんまで、
305名の商人が勢揃いして、
こちらを見ている。
大正時代の商人たちの「インテグリティ」が、
全員の視線から感じられる。
なんとなく、いい気分。
髙島屋は「本日、181周年をスタート」
日経新聞の『時事解析』。
「日本流 企業存続の条件(1)」に、
「近江商人の倫理」が出てくる。
「創業200年超の日本企業は約3100社」。
髙島屋はあと20年で200年企業の仲間入りをする。
「国際比較で2位ドイツ(1500社超)を大きく引き離す」。
記事はこう結ばれている。
「サステナビリティー(持続可能性)は世界屈指。
企業統治の修復には欧米の制度輸入よりも
近江商人流の倫理の回復が先決かもしれない」
その近江商人は、
「厳しい倫理と奉仕の精神で
自己を律した」。
その中の豪商・中井源左衛門が書き残したもの。
『金持商人一枚起請文(いちまいきしょうもん)』
「金持に成らむと思はば、
酒宴遊興奢(おご)りを禁じ、
長寿を心掛け、
始末第一に商売を励むより外に
仔細(しさい)は候はず」
金持ちになろうと思ったら、
「奢りを禁じ、長寿を心がけ、始末第一」
96年前の髙島屋の皆さんの視線と、
近江商人の倫理と精神。
インテグリティ(真摯さ)そのものだ。
さて、朝日新聞一面トップ記事。
「被災地人口6万5千人減」
東日本大震災後の岩手、宮城、福島3県の、
沿岸部と原発事故の避難が続く計45市町村の人口。
なんと6万5000人の減少。
このうちの8割に近い30代以下が、
4万9000人減。
この減少には震災による死者も含まれるが、
震災後10カ月経過したにもかかわらず、
雇用の回復が遅れているため。
人口減は流出によるものだ。
まだまだ被災地は復旧の段階であることを、
私たち全員が、強く認識しなければならない。
政党間での揚げ足取りや内閣改造など、
やっている時ではない。
政治も行政もマスコミも、
もちろん私たち自身も、
インテグリティを強く自覚するときだ。
もうひとつ日経新聞から、
『コラムの気持ち』。
登場するのは、野球評論家・豊田泰光。
「チェンジアップ」のタイトルで連載コラムを書いている。
私もファンのひとり。
豊田はスタン・ミュージアルの話をする。
通算3630安打の古き良き時代の大リーガー。
ミュージアルが来日した時に、
豊田は打撃の秘訣を尋ねた。
「『若いときは力が、
年をとったら技術が、
最後は頭が打たせてくれる』
と話してくれた」
「そうか、年齢相応の打撃があるのだから
焦らなくていいのだと、当時23歳の私は思い、
人生そのものにあてはめた」
異能のプロフェッショナルとして大活躍し、
現役を引退し、監督になり、評論家となった。
「不遇のときもあったけれど、
年齢相応の生き方が見つかると信じて、
しのいできた」
その豊田泰光。
恩師は元西鉄ライオンズ監督の知将・三原脩。
三原の言葉を豊田は「知恵の宝庫」という。
その三原語録のひとつ。
「一生懸命やったあげくに負けたら
ダメージが残って最悪。
だからプロではピッチャーゴロなんかで、
一生懸命走ったらいかんよ」
「高校野球の指導者なら
青筋を立てて怒りそうな言葉だけれど、
読者の反応は悪くなかった」
プロフェッショナルの「真摯さ」と、
元オウム真理教・平田信容疑者らが、
教祖・麻原彰晃を慕っていたころの「盲信」とは違う。
いつもいつも、
「ステージを上げろ!
ステージを上げろ!」
これではいけない。
豊田はぽつりと言う。
「手抜きを認めない“監督”がいて、
働く人たちも疲れているのかな……」
「若いときは力が、
年をとったら技術が、
最後は頭が」
稼がせてくれる。
髙島屋の305人も、
全員がそう物語っているようだ。
<結城義晴>