コダック破産と「イノベーターのジレンマ」そして結城義晴フェイスブック
このところ、不思議なことが続く。
金曜日に会おうとした人と、
会えない。
先週は13日の金曜日で、
伊藤軒専務の中井としお君に、
会えなかった。
コーネル大学ジャパン奇跡の二期生。
今日も、二人ほど。
そして横浜でも朝から雪。
こうなると心配になる。
来週の金曜日27日は、
「惣菜のわかる八百屋塾」で講演の予定。
タイトルは、
「2012商人讃歌! 雨ニモマケズ、風ニモマケズ」
心して、かからねばならない。
さて、コダックが
連邦破産法11条適用申請。
読売新聞の『編集手帳』、
日経新聞の『春秋』が取り上げた。
新聞記者はカメラを携えて取材する。
だから誰もが若いころ、
コダックにはお世話になっている。
一面コラムニストたちも記者だから、
コダックには特別の感慨を抱いているようだ。
私も編集記者時代、ずっと、
一眼レフのカメラとコダックのフィルムを持って、
歩き回っていた。
カメラはキャノンだった。
フィルムはコダックのASA400。
海外出張の時など、
30本から50本ほどのフィルムを、
重い重いカメラケースに入れて持って行った。
それが今はニコンのデジタルカメラ。
フィルムは1本もいらない。
カメラ自体もコンパクトになった。
この時代の変化に、
イーストマン・コダックは、
対応できなかった。
『編集手帳』は書く。
「創業者ジョージ・イーストマンは、
Kの字が好きだったらしい」
「『Kで始まり、Kで終わる名前を…』と、
あらゆる文字の組み合わせを考えた末に
生まれたのが『コダック』(Kodak)」
ブランドに対するこだわりが強かった。
これはすごくいい。
しかし、「かつて業界に君臨した王様(KING)も、
時流に乗り遅れればノックアウト(KO)の憂き目を見る。
二つの『K』が隣り合う、怖い時代である」
読売『編集手帳』はうまい。
ブランディングも、
ひとつのマーケティング・テクノロジーだが、
それだけでは、
企業のゴーイング・コンサーンはないということ。
日経の『春秋』。
「写真フィルムの『コダクローム』が姿を消したのは2年前だ。
カメラ愛好家にとって、あの黄色い箱には特別の思いがある。
くっきり美しい色。プロが好んで使うという信頼感。
値段は他よりかなり高かった」
こちらの書き手もコダックへのノスタルジーを強く有する。
「破産法の適用申請に至ったのは、
デジタル化に乗り遅れたからだ」
私が㈱商業界の社長をしていたころ、
神田の㈱カメラのきむらに通っていた。
会長の木村迪夫さんが、
商業界のエルダーで、
㈱商業界会館社長だったからだ。
㈱商業界会館は、㈱商業界の親会社。
つまりは大株主のところに、
いろいろと報告にうかがっていたわけだ。
ちょうど日韓ワールドカップのころ。
木村さんは横浜の決勝戦を見に行った。
その頃、92歳。
そして木村さんは、
肝っ玉が飛び出るほど、
驚いた。
フィールド・サイドにカメラマンがずらっと並んで、
決定的な瞬間を撮影しようと待ち構えている。
カメラ屋だから、そこに目が行く。
かつてはカメラマンのうしろに、
数人のアシスタントが控えていて、
カメラマンが連写して素早くフィルムを抜き取ると、
それを手渡しで収めて、
すぐさま現像に回すために走り去るという光景があった。
日韓ワールドカップでは、
この光景が全くなかった。
木村さんの会社は主にフィルムを小売りして、
売上げと利益をつくっていた。
その売上げと利益の源泉が、
なくなることを直感した。
その直後、富士フィルムは、
傘下の4つの問屋を解散した。
フィルムに決別をつけることにしたのだ。
カメラのきむらはその後、
カメラのキタムラの傘下に入った。
木村さんは、引退して悠々自適。
しかし私は、
92歳の経営者の観察眼と決断力に、
舌を巻いていた。
『春秋』は続ける。
「37年前に
世界初のデジカメを開発したのが
同社だったのは、
歴史の皮肉というべきか」
「技術にこだわった名門企業がいつの間にか、
自ら築いたブランドにあぐらをかくようになり、
時代に取り残されてしまった」
「名門企業」の内側にいると、
それがわからない。
名門ですらそれなのだから、
「亜流の名門企業」が、
内向きになったら、
目も当てられない。
日経は総合欄で「激変期、米名門の明暗」と題して、
GMとコダックを比較した。
コダックに対して、ゼネラル・モーターズ(GM)は、
2011年の自動車世界販売で首位に返り咲いた。
2009年に経営破綻していた。
コダックのアントニオ・ペレス最高経営責任者(CEO)。
「デジタルイメージングと素材において、
筋肉質かつ世界クラスの企業を目指す」
「同社の破綻は、
特定の製品や事業モデルで成功しすぎたゆえに、
次の波をつかみ損ねる
『イノベーター(先駆者)のジレンマ』の典型」
クレイトン・クリステンセン。
「90年代後半から急速に普及し始めたデジカメを
世界で初めて開発したのもコダック。
だが、高収益のフィルム事業に固執し、
商品化ではソニーやカシオ計算機など日本勢の先行を許した」
「デジタル化の波にいち早く対応した富士フイルムは、
デジカメに加え、事務機や高機能材料、
医療などの幅広い事業を擁する精密化学メーカーへの転身に成功した」
「液晶パネルの主要部材である偏光板向けの保護フィルムでは、
世界シェア8割を押さえる」
「コダックも80年代に米製薬大手を買収するなど多角化を進めたが、
その後、『フィルム事業への集中』にかじを切り、
多角化部門を次々に売却。
成長の芽を自ら摘み取っていった」
考えさせられる教訓だ。
西暦2000年段階のコダックの売上高は
約140億ドル(約1兆700億円)。
富士フイルムは約1兆4400億円で、
両者はほぼ同水準だった。
しかし10年後、「富士フイルムの約4分の1まで減少」。
小売業や外食産業など有店舗ビジネスでは、
ビジネスモデルとしての「業態」や「フォーマット」がある。
いかに現在、そのフォーマットが高収益でも、
それに頼り切っていると、
時代の変化に対応できない場合、
コダックの二の舞になる。
「イン―ベータ―のジレンマ」。
現在のフォーマットが完璧であればあるほど、
そのイノベーションが画期的であればあるほど、
このジレンマに陥るリスクを抱えている。
ということで、
私もフェイスブックを始めた。
まだ試験段階。
ブログやホームページの上に、
フェイスブックのソーシャルネットワーキングテクノロジーを載せる。
決して早いというわけではないが、
商人舎が5年目に入る2月1日、
グランドオープン予定。
お知らせとお誘いをします。
2月1日です。
今はソフトオープンの期間。
毎日、自分の時間が減っています。
しかし、これは言える。
「なにごとも、
ひとつの手段に頼ろうとする誘惑は、
これを退けねばならない」
<結城義晴>
[お詫とお断り]
今日のブログで、
サッポロドラッグストアーの店舗紹介をすると予告しましたが、
諸般の事情でそれができませんでした。
申し訳ありません。